雑感
昨日の話ですが、住み着いているというか寄生しているというか・・・な研究プロジェクトで、小規模な国際ワークショップが開催されていました。
まあ一応はプロジェクトの面汚しというか名前だけはあるというか・・・な関係上、私も都合を付けて出てはきました
(「オマエロクに働いてないし年がら年中ヒマやん」・・・というツッコミは却下)。
いろいろとゴタゴタもありましたが、まずは無事に終えられて(少なくとも「かたち」としては・・・)、そこは何よりだったのではないかと思います。
毎度毎度のことながら、
自分の語学力のなさ
・・・は、痛感してきましたが
(でも、冷静に考えてみれば、日本人相手に対してもロクにコミュ力がない私のようなゴミクズが、外国人相手にまともなコミュニケーションなんて、なおさら取れるわけがありませんがな・・・orz)。
**********
それはともかくとして、他のメンバーに都合がつかなかったのか、ヒマがあったのが私だけだったからなのか、それは定かではありませんが、ワークショップの前々日の午後に届いた英文原稿を、細かいことを言えば「門外漢」というか「分野外」の私が、半泣きになりながら、一応序論と結論だけ訳しました。
英文自体は非常にクリアーだったと思うのですが、どこの分野でも同じこととはいえ、
その分野の基礎知識がなければ、トンチンカンでちんぷんかんぷんな誤訳というか珍訳しか生産されない
(私のように語学力のないアホはもちろんのこと、プロの翻訳家であっても、たぶん事情は変わりません・・・)
という羽目になるのもまた、世の常です。
そのせいか、当日わざわざ出席されていたエラい人に、
「この文誤訳だよ」
(「オマエ教壇に立っている身のくせに、こんなのも正しく訳せないのかよ」・・・と、内心思われていたのか否かは定かではありませんが・・・)
・・・と休憩時間に指摘されて、微妙に冷や汗をかいてたこともありました・・・
(「いやー、時間なかったですしそもそも私分野外ですしね・・・」とか何とかと言い訳しときましたが・・・)。
**********
そんな一日を振り返って、微妙に思ったことがあります。
それが、
私の場合、自分で設定するハードルが著しく低くないか
・・・ということです。
たとえば、丸一日ちょっとあれば、英文原稿(昨日の場合は本文がA4で13頁ありました)の“全部”は無理にしても、半分くらいは何とかできたかもしれません。
それでも、私は、
残り時間を考えれば、序論と結論(あわせて正味3頁半くらい)を訳すのが精一杯でしょ?
(それ以上の時間は割かないし労力も割きませんよ・・・)
と、自分でハードルを低く設定したわけです。
結果、低いハードルだから当然といえば当然ですが、当該範囲の訳文は作成して、邦訳のある引用や参照指示は確認して、一応訳文を2回くらい見直すくらいのことはできました
(それでもアホな誤訳は残っていたのが、私のアホさかげんの所以ですが・・・)。
しかし、最初から割く労力も時間も、(残り時間の割には)絞ることは、ラクをしていることであり、逃避していることであるという見方も、できなくもありません。
**********
もっとも、
ハードルを高く設定してそれを越えていくのが理想
であることに間違いはないのですが、
「ハードルを低く設定して比較的容易に越えていく」ことと、「ハードルを高く設定したのはいいけれども、結局越えられずじまいになる」ことの、どちらが好ましいか・・・
となると、なかなかに難しいところがあることも否めません
(それは、「結果」を重視するか、「過程」を重視するか、あるいは「動機」を重視するか・・・という“重点の置き方”の問題なのかも、しれません・・・)。
もっとも、私のように(キャリアが浅い割には、入試に失敗したり回り道したりで、年だけは食っている)オッサンバイト講師の場合は、
もっとハードルを高くすることを考えなければならない
・・・のかも、しれません。
易きに逃げ、楽に逃げ、苦労しなかったことの積み重ねというか成れの果てが、現在のどうしようもない現状
ですからね・・・
(もっとも、昨今の“STAP問題”を見るにつけ、研究者業界では文理問わずにタブーとされている「無断剽窃・盗作」をしようとさえ考えたことがないことは・・・って、そんなの当たり前ですね・・・)。
まあ一応はプロジェクトの面汚しというか名前だけはあるというか・・・な関係上、私も都合を付けて出てはきました
(「オマエロクに働いてないし年がら年中ヒマやん」・・・というツッコミは却下)。
いろいろとゴタゴタもありましたが、まずは無事に終えられて(少なくとも「かたち」としては・・・)、そこは何よりだったのではないかと思います。
毎度毎度のことながら、
自分の語学力のなさ
・・・は、痛感してきましたが
(でも、冷静に考えてみれば、日本人相手に対してもロクにコミュ力がない私のようなゴミクズが、外国人相手にまともなコミュニケーションなんて、なおさら取れるわけがありませんがな・・・orz)。
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それはともかくとして、他のメンバーに都合がつかなかったのか、ヒマがあったのが私だけだったからなのか、それは定かではありませんが、ワークショップの前々日の午後に届いた英文原稿を、細かいことを言えば「門外漢」というか「分野外」の私が、半泣きになりながら、一応序論と結論だけ訳しました。
英文自体は非常にクリアーだったと思うのですが、どこの分野でも同じこととはいえ、
その分野の基礎知識がなければ、トンチンカンでちんぷんかんぷんな誤訳というか珍訳しか生産されない
(私のように語学力のないアホはもちろんのこと、プロの翻訳家であっても、たぶん事情は変わりません・・・)
という羽目になるのもまた、世の常です。
そのせいか、当日わざわざ出席されていたエラい人に、
「この文誤訳だよ」
(「オマエ教壇に立っている身のくせに、こんなのも正しく訳せないのかよ」・・・と、内心思われていたのか否かは定かではありませんが・・・)
・・・と休憩時間に指摘されて、微妙に冷や汗をかいてたこともありました・・・
(「いやー、時間なかったですしそもそも私分野外ですしね・・・」とか何とかと言い訳しときましたが・・・)。
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そんな一日を振り返って、微妙に思ったことがあります。
それが、
私の場合、自分で設定するハードルが著しく低くないか
・・・ということです。
たとえば、丸一日ちょっとあれば、英文原稿(昨日の場合は本文がA4で13頁ありました)の“全部”は無理にしても、半分くらいは何とかできたかもしれません。
それでも、私は、
残り時間を考えれば、序論と結論(あわせて正味3頁半くらい)を訳すのが精一杯でしょ?
(それ以上の時間は割かないし労力も割きませんよ・・・)
と、自分でハードルを低く設定したわけです。
結果、低いハードルだから当然といえば当然ですが、当該範囲の訳文は作成して、邦訳のある引用や参照指示は確認して、一応訳文を2回くらい見直すくらいのことはできました
(それでもアホな誤訳は残っていたのが、私のアホさかげんの所以ですが・・・)。
しかし、最初から割く労力も時間も、(残り時間の割には)絞ることは、ラクをしていることであり、逃避していることであるという見方も、できなくもありません。
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もっとも、
ハードルを高く設定してそれを越えていくのが理想
であることに間違いはないのですが、
「ハードルを低く設定して比較的容易に越えていく」ことと、「ハードルを高く設定したのはいいけれども、結局越えられずじまいになる」ことの、どちらが好ましいか・・・
となると、なかなかに難しいところがあることも否めません
(それは、「結果」を重視するか、「過程」を重視するか、あるいは「動機」を重視するか・・・という“重点の置き方”の問題なのかも、しれません・・・)。
もっとも、私のように(キャリアが浅い割には、入試に失敗したり回り道したりで、年だけは食っている)オッサンバイト講師の場合は、
もっとハードルを高くすることを考えなければならない
・・・のかも、しれません。
易きに逃げ、楽に逃げ、苦労しなかったことの積み重ねというか成れの果てが、現在のどうしようもない現状
ですからね・・・
(もっとも、昨今の“STAP問題”を見るにつけ、研究者業界では文理問わずにタブーとされている「無断剽窃・盗作」をしようとさえ考えたことがないことは・・・って、そんなの当たり前ですね・・・)。
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