四国鉄道文化館探訪記②(DF50外観編)

「四国鉄道文化館探訪記①」のつづきです・・・

館内に入ると、まずはDF50形電気式ディーゼル機関車の1号機のところに向かいます。

DF50
本線用ディーゼル機関車らしい、堂々とした箱型車体です。
このトップナンバーである1号機は、新製配置も四国(高松機関区)ならば、最終配置も四国(高松機関区)という、四国とは切っても切れない縁で結ばれたカマです
(ただし、途中で敦賀、長野、米子の各機関区を転々としていますので、生涯にわたって四国で過ごしたというわけではありません)。

昭和32(1957)年の新製から、昭和58(1983)年の引退までに、“260万㎞”走行したそうです。
また、ディーゼル機関車としては唯一の“準鉄道記念物”に、指定されています
(ディーゼル機関車自体、鉄道車両の中では比較的歴史が新しい(=本格的に使用されるようになったのは第二次大戦後)こともあって、“準鉄道記念物”や“鉄道記念物”に指定されるようになるのは、まだまだ先ということになるでしょう・・・)。

側面
側面。
いつ見ても実に堂々としています

個人的には、このDF50形が最も好んでいるディーゼル機関車です
(DD51やDE10のような凸型車体は、実用性はあるのかもしれませんが、「本線用ディーゼル機関車の“風格”」があまり感じられないんですよね・・・(苦笑))。

ちなみに、DF50形の保存機は全国に3両ありますが、他2両のうちの1両である「DF50形18号機」は、先月の頭に交通科学博物館のお別れ訪問に出かけた際にじっくりと眺めてきました
もっとも、あちらの18号機は運転室内に立ち入ることができないのに対して、こちらの1号機は運転室に立ち入ることができます!!
(運転室内については次回のエントリーでまとめます)

せつめい
説明プレート。

線路上
屋内展示でありながら、道床の敷かれたレール上に鎮座しています。
ちなみに、このレールは予讃線の本線にきちんとつながっています
(このカマが多度津工場から搬入された時も、予讃線の本線上をDE10の重連にけん引されてやって来ました。なお、そのときの映像は、0系新幹線の車内で放映されている「四国鉄道文化館物語」を眺めていると見ることができます)。

唯一の“本線走行可能”なDF50形

というキャッチフレーズは、この辺の経緯に由来しているのでしょう
(もっとも、「本線上を“自走できる”」とは一言も書いてありません・・・)。


DF50構内走行
古い画像で恐縮ですが、これは平成元(1989)年5月の、四国鉄道開業100周年を記念した一連のイベントに際して多度津工場が特別に公開された際に、構内で体験乗車を実施していたDF50形1号機の写真です。
当時お子様だった私も、わざわざ多度津にまで出かけていって、構内の限られた区間とはいえDF50形の息吹を実感してきたものです(・・・って、その時の記憶はろくに無かったりもするんですけどね・・・(苦笑))。

この頃は、(さすがに本線上は無理としても)構内の短距離程度であれば走行可能な状態に整備されていた(=自走可能だった)のですが、その後「四国鉄道文化館」にやって来てからは、自走することなく静態保存とされています。

静態保存機ですが、車籍はいまだにJR四国に残されています。

つまり、

JR四国から四国鉄道文化館に“貸与”されているという扱いになっている

・・・わけです
(某鉄道誌の恒例企画である「車両データバンク」でも、JR四国所有の機関車の項目に、このDF50形1号機はしっかりと記載されています)。

ブレーキハンドルとか
貸与の証である運転ハンドルやブレーキハンドル、さらにはプレート類が、本館の一角に展示されています。

**********

エンジンルーム公開中
訪問した日は、たまたまエンジンルームの公開日に当たっていました
(これはこれで非常に興味深いところでしたので、次回のエントリーで改めてまとめます)。

ナンバープレート
正面ナンバープレート。

区名札
区名札には、松山機関庫(→松山気動車区→松山運転所)の配置車両を意味する「松」のプレートと、寝台特急仕業に充当された際に使用された(?)ブルートレインプレートがさされていました
(DF50形が特急仕業に充当されていた際に、このブルートレインプレートが存在したのかどうかは、定かではありませんが・・・)。

・・・が、

現役時代にこのカマが松山に配置されたことはありません
ブルートレインに充当されたことも(たぶん)ありません

(このDF50形1号機は、昭和32(1957)年に高松機関区に新製配置された後、敦賀~長野~米子の各機関区を経て、昭和42(1967)年以降はずっと高松機関区(→高松運転所)に配置されていますので、運用エリアや時期を考慮すれば、ブルートレインをけん引していたとは考えられません。ちなみに、DF50形のブルートレイン運用に関していうならば、紀勢本線で運用されたカマは「紀伊」号を、日豊本線で運用されたカマは「富士」「彗星」号をけん引していました・・・)

まあ、気分というかイメージの問題でしょうから、ツッコむ方が野暮なのでしょうね・・・きっと。

ナンバープレート
側面ナンバープレート。
切り文字が優美です。

2エンド
DF50形を特徴づけるのは、何といってもこの巨大な放熱器です。
もっとも、寒冷地に導入したところフィルターが目詰まりしまくってえらい目にあった・・・ということもあったそうで、その後は四国をはじめとする温暖な地域に集中して配備されることになりました。

2エンド
2エンド側。
昭和57(1982)年に全般検査を受けて以来手が入っていないようで、これではそのまま動態保存・・・とも、いかないのでしょうね・・・。

2エンド
反対側に回り込んできました。
右側の写真は、昭和58(1983)年のさよなら運転のときのものです。

連結器
連結器まわり。
シンプルながらも力強いですね。

タブレットキャッチャ
客貨問わずさまざまな種別で運用されたDF50形だけあって、時には駅を通過するときもありました。
そんな時に備えて、タブレットキャッチャ(通過しながらでもタブレットを受け取ることができるようにする装置)を搭載していました。

保護棒
運転室の扉には保護棒が取り付けられていました。
タブレットを通過しながら受け取る際の衝撃で窓ガラスが破損しないようにするためのもので、国鉄時代ならではの装備ですね。

台車
柵の類は基本的にありませんので、台車や床下まわりにも近づくことができます。

多度津工場にて整備済み
「T.D」は多度津工場が整備した証です。

現役時代
キハ181系と交換している現役時代のDF50形1号機の姿が、プレートになって展示されていました。

側面
このようにひな壇(?)が設置されていて、側面のフィルター等についても近くから観察することができます。
このときはたまたまエンジンルームの公開日に当たっていましたので、エンジンルーム内の様子もじっくりと眺めてきました。

「四国鉄道文化館探訪記③」へつづく・・・
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キモメン兼デヴ兼クソヲタ兼フニーターで当然の帰結として“プア”・・・。略して“キモプア”。
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