神戸鉄道遺産探訪記①:鷹取駅

年度の前半には神戸をウロウロしているのですが、先日思いついたかのように、


鉄道遺産を訪ねてみよう
(とはいえ、出かけるついでなので、廃線跡を丁寧に歩くような時間をかけることはできないので、できるだけ“お手軽”なところで・・・)


・・・と、思い立ちまして、

鷹取駅(旧・鷹取工場)
神戸港線(かつての貨物線)


を、フラフラと探訪してきましたので、二回に分けて記録を整理しておきます。

まずは、鷹取駅を訪ねてきたときの記録です。




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・・・ということで、山陽本線(JR神戸線)の緩行電車に揺られてやってまいりましたのは、神戸市の西の方にある鷹取駅です。
割と市街地の中ですが、緩行電車(各駅停車)しか停まりません。

なお、改札口は地下となりますが、駅の南側のみに改札口がある形になります
(これは、そもそも南側の緩行線にしかホームが存在しないため)。

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それにしても、駅舎の壁にSLの扉を模したオブジェと、(レプリカでしょうが)ナンバープレートが埋め込まれている段階で、もはやただごとではありません

この駅が、“鉄道遺産”にゆかりのある地であることを、そこはかとなくアピールしています。

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ナンバープレートといえば、改札内(自動改札機の正面)も、ごらんのありさまです。

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駅の南側にある駅前広場には、動輪を模したと思われるオブジェも据え付けられています。




さて、このようにナンバープレート(たぶんレプリカ)が設置され、鉄道に関連したオブジェが設置されているのも、ひとえに、

この地がかつての名門鉄道工場であった“鷹取工場”の跡地


であるからに、ほかなりません。

そのことを明確に示す“遺産”は、駅の南北を結ぶ地下通路の中にあります。

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・・・ということで、地下通路に入ることにしますよ。

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ごらんのとおり、きれいな一直線になっています。

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ちょうど、通路の中程(西側)に、かつてこの地にあった鷹取工場の説明と、

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在りし日の航空写真から作成されたプレートが設置されています。

説明書きのとおり、関西を代表する国鉄~JRの鉄道工場として、単に車両のメンテナンスに限らず、製造まで引き受けていた名門工場でした。
明治33(1900)年から長きにわたりこの地で鉄道を守り続けたものの、平成7(1995)年の阪神・淡路大震災において大きな被害を受け、惜しまれつつも平成12(2000)年に、検修機能をはるか西にある網干総合車両所に移して、閉鎖されました。

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跡地の一部は神戸貨物ターミナル駅となり、神戸における鉄道貨物の拠点となっています。
そして、この神戸貨物ターミナル駅の誕生こそが、(別の日に訪ねてきた)神戸港駅(貨物駅)の廃止と、神戸港線(貨物線)の廃線につながっています。

なるほど、こうして“ことがらはつながっている”・・・と。

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駅の北側には巨大なマンション(?)が建設され、遠くからでも目立っています。

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そういえば、JR貨物は従来からのロゴマーク(JRFマーク)の使用を取りやめて、今後は「JR貨物」の表記を前面に出すそうで・・・。
そのうち、JRFマークのついたコンテナも“稀少品”になっていくのでしょうね・・・。

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駅の北側に出てきました。
山陽本線の上りの列車線だけは、神戸貨物ターミナルの北側にありますので、ときおり新快速や特急、さらには(神戸貨物ターミナルに停車しない)貨物列車が猛スピードで駆け抜けていきます
(緩行線と下りの列車線は神戸貨物ターミナルの南側にまとめられています)。

なお、北側の入口から改札口にたどりつくためには、南北通路をほぼ渡りきる必要があります。

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北側は、南側以上に広大な駅前広場が広がっていますが、このあたりも往時は鷹取工場の敷地だったのでしょうか・・・。
また、画像にはありませんが、駅の北西には、JR西日本の所有するグラウンドがありまして、これも工場の敷地だったのかもしれません・・・。

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では、駅の北側に用事があるわけでもないので、ふたたび南北通路へ・・・。

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通路の東側には、鋳造柱の説明があります。

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鷹取工場の前身だった神戸工場で使われていたものを鷹取工場に移築し、工場の閉鎖後にここに設置したようで・・・

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“神戸工場製造・鉄道作業局”の刻印があるもの(国産)と、英語による刻印があるもの(イギリス産)の双方が移設されています
(この柱は、神戸工場製のものです)。

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そして、往時は鉄道車両の“製造”も引き受けていた鷹取工場にて製作された代表的な機関車が紹介されています。
そういえば、(同じ神戸市内にある)王子動物園で保存されているD51-211もまた、鷹取工場製のカマでした。

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ふと足元を見ると、ターンテーブルを模した装飾がありました。




・・・ということで、かつては鷹取工場が存在していた鷹取駅を訪ねてきた際の記録でした。
今となっては、鉄道工場が存在したことは、広大な敷地から偲ぶしかないのかもしれませんが、南北自由通路に展示があることで、それを眺めるとかつての栄華と規模が偲ばれます。

大震災がなければ、今もこの地に工場があったのかもしれませんし、都市部のことですから、遅かれ早かれ郊外に移転して再開発されていたのかもしれません。

歴史に“If”はありませんが、かつて名門工場があったことを偲ぶために、各駅停車しか停まらない駅に降り立ってみるのも、それはそれで悪くないのかも、しれませんね・・・。

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No title

国鉄工場ですが、機関車や貨車は鷹取、客車や気動車は高砂、電車は吹田と受け持ち分かれていましたね。
閉鎖工場の機能は網干や幡生に分散でしょうか。

ところで八鹿駅の跨線橋、あれは新橋製ですね。もともとは福知山駅のものだそうで。
http://www.city.yabu.hyogo.jp/3488.htm
車両以外の鉄道設備は近くの神戸より、遠くの新橋が担っていたかもしれません。

No title

↑上記、NHを失念してしまいました。

Re: No title

ねるねるさん、コメントありがとうございます。

国鉄時代には、確かに車種によって担当工場が分かれていたことがありましたね(四国のように規模が小さいと、何でもかんでも「多度津行き」になっていましたが・・・)。
鷹取工場の機能は基本的には網干に移っていますが、部分的には幡生や吹田にも移っているのかもしれません。
あるいは、「機関車」という意味では、JR貨物の工場がその機能を引き継いでいると言えるのか・・・。

また、ところで八鹿駅の跨線橋、たまに訪問したり駅を通り過ぎて眺めるにつけ、ずいぶんな年代物であるのは一目瞭然なのですが、「新橋製」にして、「もともとは福知山駅のもの」であるとは、恥ずかしながらご教示いただくまで知りませんでした。
なるほど、どおりで“年代物”であるわけですよ・・・。
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キモメン兼デヴ兼クソヲタ兼フニーターで当然の帰結として“プア”・・・。略して“キモプア”。
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