松山城に登城す(その③)

「その②」のつづきです・・・

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さて、天守最上層からのパノラマも堪能しまして、天守の外に出ました。
さきほどまで“城主気分”で偉そうにしていた大天守を見上げてみます。

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ふたたび“一の門”をくぐって・・・

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本丸広場に戻ってきました。
なにせ“現存天守”・・・バリアフリーなんて概念ありませんので、階段を上り下り・・・ですから、それなりの運動になります

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・・・ということで、本丸広場の売店に隣接する自動販売機でジュース一本を調達して、一休み・・・。
ソフトクリームも販売されていましたが、さっき食べたばかり・・・ということもあり、今回はジュースです。

なお、“観光地価格”なのか(標高的な意味で)“高いところ価格”なのか・・・

地上の一般的な自販機よりも50円ほど高かった

・・・のは、致し方ないところでしょうか。

確かに、登城道を介してこの高さまで“運んで”くる必要はありますからね・・・。

もっとも、最も整備された“東雲口登城道”は全面的に舗装されていて、軽トラック程度であれば普通に登ることができます
(実際、整備用の自動車が本丸広場まで登ってきていましたし・・・)。

まあ、それにしてもトラックに積んでここまで運んでくるのは手間も費用もかかる・・・と言われれば、それまでですか・・・。

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さて、一休みして本丸広場を出発し、下山です。
もっとも距離が短いのは、もっとも整備が進んだ--なにせ、クルマが登ってくるくらいですから・・・--東雲口登城道であることに間違いありません。

他方で、

行きと帰りで同じルートというのは、いかにも芸がない


・・・ということで、帰りは・・・

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“黒門口登城道”を下ることにします。
ごらんのとおり、完全に“歩く”ことに特化して整備された登城道です。

思い返せば、小学生の遠足で歩いて登らされ、高校生の頃に走って登らされた・・・のも、この登城道(・・・だったはず。記憶あいまいだけどな!)。

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林立する木々を眺めながら、どんどん標高を下げていきますよ。

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スイッチバック(?)しながら、夕暮れ時とはいえ薄暗い登城路をひたすら下ります。

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10分ほど下ると、開けたエリアに着きました。

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眼下には、やたらと整備された庭園。
「二の丸史跡庭園」として、20年ほど前に整備された(・・・という事情のはず)ものです。

なお、「二の丸」というくらいですから、大昔は城の設備の一環--藩主の居住地だったとか--だったのは当然ですが、戦後しばらくのあいだはここに「城東中学校」という市立中学校があったとか・・・。
城の敷地にある中学校・・・なかなかに贅沢な環境だったのだろうと、往時を偲ぶことしきりです・・・。

どうでもいい話ですが、この「二の丸史跡庭園」を、“恋人の聖地”として松山市は売り出しています
(中学校のあった時代には、中学生たちの“ロマンス”(←古い・・・世代が窺える・・・orz)が展開されていたことでしょう。・・・そうか! だから、私にとっては縁のない場所なんですね・・・(失笑))。

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庭園と同じ高さ(庭園の裏側)にやってきました。

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それぞれの登城道についての説明があります。

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見事な石垣が、往時の姿を今に伝えます。

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分岐路。
二の丸史跡庭園の入口、さらには、愛媛県庁の裏側(県庁裏登城道への分岐点)にも進むことはできますが・・・

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重要文化財や国宝スポットによくある“例の看板”を横目に・・・

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黒門口登城道の入口にやってきました。

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城のふもとを周る一般道に接続しています。

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登城口から視線を南に向けると、一面の広場・・・

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今でこそ、ただの“だだっ広い広場”ですが、昔は競輪場(陸上競技場を兼ねる)、市営球場、県民館・・・といった施設がひしめいていたものでした
(ただし、ある程度以上の世代でないと、たぶんわからないでしょう・・・。これらの施設のうち、競輪場と球場は15年ほど前に市坪に移転して、今に至ります・・・)。

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かつて松山市営球場があった方向をのぞむ。
ナイター設備もなければ(私が物心ついた段階で)すでにたいがい老朽化していた球場でもありましたが、ある程度以上の世代にとっては、「堀之内の市営球場こそが松山の球場」・・・と、なるのかもしれません
(そういえば、市坪に移転してからの「坊っちゃんスタジアム」・・・まだ一度も行ったことがなかった・・・)。

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この“だだっ広い広場”を見ているだけでは、かつて競輪場や野球場があった・・・ことをイメージすることはなかなか難しいのかも・・・しれません。

“強者どもが夢の跡”とは、よく言ったもので・・・
(そういえば、戦前の堀之内一帯は「陸軍の施設」だったそうで、その意味でも“強者どもの跡”なのでしょうね・・・)。

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背後を振り返ると、先程駆け下りてきた城山の偉容。




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他方で、移転して広場になっているところもあれば、昔からの施設が残っているところもあり・・・。

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松山市民会館・・・。
コンサートホールになったり、演劇が上映されたり、何かの大会が開かれたり・・・と、半世紀以上にわたって(昭和40(1965)年の落成)、堀之内の地にあり続けています。

他に、愛媛県美術館や県立図書館についても、昔と変わらずその姿をとどめています。

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かくして、最後はお堀--城の南にあるので、「南堀端」とこの一帯を総称します(電停・バス停も「南堀端」)--を渡って、帰っていったのでありました・・・。

(おわり)
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Author:キモプアの紙
キモメン兼デヴ兼クソヲタ兼フニーターで当然の帰結として“プア”・・・。略して“キモプア”。
その中でも(まあ、ほかに“キモプア”を自称する物好きもいないでしょうが・・・)選ばれし“逆”エリートゆえに“紙”(ペーパー的な意味で・・・orz)。

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