内子・大洲町並散策1日パスの旅(その②)

「その①」のつづきです・・・

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特急列車に揺られて、内子駅に着きました。
さて、内子では2時間ほど--要するに、乗ってきた列車の2本後の「宇和海」号の発車まで--滞在時間を確保しました。

内子名物と言えば、江戸時代後期から明治時代にかけての町並の姿を今に伝える


八日市・護国地区の町並


です。

地元である松山からは、特急列車で25分ほどで到着するという至近にありながら、私が訪ねるのは実に20ウン年ぶりです。
前回は当時在籍していた高校の写真部の撮影行ということで、顧問の先生に引率された部員ご一行様の一員として訪れましたが、今回は“気ままなエリートぼってぃ非コミュ”として向かいます。

当時の使用カメラは一世を風靡したニコンF601(もちろんフィルムカメラ)、今回手元にあるのはニコンD750・・・同じようにニコン機を首から下げていますが、時代は進歩したものです・・・
(なにせ、撮影結果がその場でわかりますし、フィルム切れの心配もいりませんし・・・)。

他方で、前回の訪問時も今回の訪問時も、利用したのは特急「宇和海」号の2000系気動車。
2000系がどれだけ四国の屋台骨を支え続けているのか・・・という事実にも驚嘆せずにはいられません

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駅から歩くこと数分、こぢんまりとした橋を渡ります。
さすがに、町並保存地区へ通じるだけあって、欄干からして凝った造りです。

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なお、駅から町並保存地区までは、北へ約1kmの道のりとなります(この画像は途中の案内掲示ですから、「残り630m」を示しています)。
公共交通機関は全くありませんので、歩いていくか、タクシーを拾うか、自転車を借りるか・・・。私は歩くことだけは苦にしませんので--他のあらゆる運動は苦だけどな!--、悠々と歩いて行きました

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町並保存地区への順路には、このような案内掲示が各所に設置されています。
ここは、「内子座」へと分岐するスポットにある掲示です(内子座については帰りに訪問していますので、次回のエントリーで記録を整理します)。
駅から町並保存地区への道のりの、だいたい中間点に当たります。

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そして、観光案内図も各所に設置されており、初めてでも(丁寧にたどっていけば)迷わずにたどりつくことができることでしょう。

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途中の交差点とミニ公園。
ポストが円柱形なのが“わかっている”というべきか何と言うべきか・・・。

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駅から歩くこと20分ほど、町並保存地区の入口にやって来ました。

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駅から歩いてきて、小道を左に入ると町並保存地区です(地元の銀行である伊予銀行の支店が目印になります)。
ここのポストも円柱形ですね・・・。




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分岐点からスタスタと歩くと、町並保存地区の入口を告げる看板です。
南北に約600mにわたって、江戸時代後期~明治時代の町並が保存されています

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・・・って、御老公様、なんでこんなところに?!



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・・・ということもありましたが、町並保存地区の入口には、「内子町立・町屋資料館」があります。

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ご覧の通り、当時の町屋を再現した施設で、無料にて公開されています。
せっかくなので、見学させていただくことにしましょう。

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解説板。
江戸時代の町屋を再現しているそうです。
余談ながら、何気なく吊り下げられた“藁草履”が何ともいえない“味”を出しています

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自由に入ることができますが、このときは誰も中にいなかったので“貸切”です。

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江戸時代や明治時代のことですから、ガスコンロなどという文明の利器はありません。
煮炊きするには“かまど”を用いなければなりません。
ごはんを炊くのも、お湯を沸かすのも、スイッチひとつで済む現代からすると、隔世の感があるほどの手間がかかったことでしょう。

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“かまど”といいますと、古代ギリシアの大哲学者ヘラクレイトスが「ここにも神々は住まうのだよ」と語ったエピソードを思い出してしまいますが、凡人にして卑小な私には、神々は見えない模様・・・orz

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ちなみに、建物の外にはこぢんまりとした庭が広がっています。
トイレも設置されており、公衆トイレの存在しない町並保存地区における公衆トイレとしての機能もあります
(もっとも、トイレは“現代”流にウォシュレットになっていました。そこは昔ながらのボットン便所とはなっていない模様・・・)。

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他方で、井戸は釣瓶・・・ではなく手押しポンプ。
江戸時代にはポンプはなかったと思われますが、さすがに釣瓶までは再現できなかったのでしょうか・・・。

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なお、部屋部分(畳部分)は、靴を脱いで上がることができます。

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無駄に上がって隣の部屋に・・・。
箪笥がいい味を出していますね・・・。

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屋根裏が物置を兼ねています。
現代のように“空気を自分の都合のよいように支配する装置(=エアコン)”がないご時世のこと、かくも天井が高いと、冬は大変寒かったことでしょう・・・。

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座布団と食器が並べられていると、“生活のにおい”が漂ってくるような気がするのは、気のせいでしょうか・・・。

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解説板によると「商家としての側面が強い」そうですので、番頭さんでも座っていたのでしょうか。
この座布団と机に座った人は、今の日本をどう思うのでしょう・・・。

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こぢんまりとした空間ですが、江戸時代の町屋を今に伝える温かい空間・・・。
前回の訪問時には(団体行動で自分の都合で動けなかったこともあるとはいえ)すっかり見逃した資料館でしたが、町並保存地区の“象徴”ともいえる、すばらしい施設なのではないかと思いました(昼間であれば自由に立ち入ることもできますしね・・・)。

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さて、町屋資料館の前後はちょっとした上り坂です。
「上り坂だった」という印象が前回の訪問時には全く残っていなかったりもするのですが、20年も前ののアテにならない記憶なんて、そんなものかもしれませんね・・・

そんな上り坂を抜けると、こんな柱が道ばたに立っていました。

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気がつけば電柱もなくなり、ちょっとした“タイムスリップ”気分

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江戸時代から明治時代以来、世紀をまたいで伝えられてきた伝統的な建築物が、訪問者を迎えてくれます。

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格子窓も誇らしげです。




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町並保存地区の北側には、「本芳我家住宅」があります。
建物内部は非公開ですが、庭園が無料公開されていますので、眺めていくことにします。

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門の先は、堂々たる邸宅と庭園。

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かつてこのあたりは蝋燭の生産で栄え、本芳我家、上芳我家、下芳我家といった一族が財をなしたそうです。
邸宅の規模からしても、かつての栄華は十分に偲ばれます。

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庭園も立派なものでした(維持管理はとても大変そうですが・・・)。

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蝋燭で財をなせる・・・現代からすれば信じられませんが、かつては蝋燭が灯りの王者だった時代もありましたからね・・・。

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陽光にきらめく木々が、かつての栄華の名残を見守っている・・・のかも、しれません。




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本芳我家の邸宅跡を出たところで、そろそろ内子駅へ折り返した方がよさそうなお時間です。

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訪問日は天気に恵まれたのですが、今年は四国でも(山間部を中心に)降雪が多いという、なかなかに“困った”気象。
そのせいか、2月中旬の寒波で降った雪が、こうして日陰を中心に町並保存地区にも残っていました。

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町全体が雪化粧・・・とまではいきませんが、沿道に雪が残っているだけでも、それはそれで“乙”なものですね・・・

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ところで、町並を歩いていると・・・

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こんな一角が、

“テナント募集”

・・・とありました。

町並保存地区、観光客を招き入れるには有効なのでしょうが、その保存・維持管理のかなりの部分は、地元住民の肩に掛かっています。

もちろん、観光客向けの商売を展開するなどして「共存共栄」を図る住民もいれば、

保存地区に指定されたおかげで、改築も建て替えもままならない


・・・とぼやく住民もいることも、否定できません(町並保存地区の類では、全国どこでも見受けられる状況ですが・・・)。

自治体がある程度支援する場合もあるようですが、他方で(自治体の保有物ならばまだしも)私有財産である住宅の維持管理・改修にどこまで公費を投じることができるのか・・・という問題は残ります。

他方で、(観光客を集めたいという)自治体の都合をおしつけられて、改築も建て替えもままならないのでは、所有者としては「迷惑」以外の何物にもならないわけで、“落としどころ”は難しいものですね・・・。

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そんなことを考えていると「古くからの町並を堪能した」だけでは済まなくなるのは、京都という世界的観光地を日々目の当たりにしていて、観光客の波に頭を抱えているから・・・なのかも、しれません。

なお、この日は少し寒いとはいうものの、天気は良好だったのですが、私が見かけた観光客は多く見積もっても数十人でした(カウンターでマメにチェックしたわけではありませんが、3ケタには達していないと思います)。
そのなかでもやたらhttp://andromeda10.blog89.fc2.com/blog-entry-1656.htmlとやかま・・・もとい、賑やかだった中国人グループを除けば、あとは2~5人程度のグループ客が主体で、その意味でも、町並にマッチした“落ち着き”を感じたような気がしました。

正直なところ、ゆったりと町並を眺めるという観点ではこれくらいの状況の方がありがたいのですが(京都くんだりが“おかしすぎる”という説もあり)、経済効果を期待する地元としては、痛し痒し・・・というところかもしれません
(散策するだけでロクにゼニも落とさない貴様のような輩にとやかく言われたくない・・・という説もあり)。

「その③」につづく・・・
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キモメン兼デヴ兼クソヲタ兼フニーターで当然の帰結として“プア”・・・。略して“キモプア”。
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