片町線今昔--京田辺駅の一角にて--

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先日、所用がありまして京都府の南、京田辺に出かけてきました。
京都駅からであれば、近鉄京都線で行くか、京阪バスの松井山手線で行くか・・・というところですが、このときの用務からして、近鉄利用で新田辺駅に降り立ちました。

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(画像は別乗車時のもの・・・)
どうでもいい話ですが、

近鉄の“特急誘導”
(急行・普通の冷遇)

・・・も、相変わらず大概ですね・・・。

まあ、奈良方面や橿原神宮前方面といった遠方ならまだしも、京都線の途中駅まで・・・となると、急行以下の種別を使うしかないんですけどね(ラッシュ時に高の原駅に一部特急が停車することを除けば、近鉄特急は“有料”だけあって、丹波橋~大和西大寺間ノンストップのため。いかに特急に誘導されても、停まらない駅に降り立つのならば使いようはない!)。

データイムであれば新田辺駅で緩急接続するダイヤですが、あえて空いている普通列車で行きました
(おかげさまで優雅に座っていたら、ついウトウトしたようで、危うく寝過ごすところだった・・・orz)。




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さて、新田辺駅から歩いて数分のところに、JR片町線の京田辺駅があります。
昔は「田辺」駅を名乗っていて、この駅と区別するために紀勢本線の方は「紀伊田辺」駅を名乗っているとか何とかありましたが、かつての田辺町が京田辺市に市制移行したことをきっかけに、「京田辺」駅に改称されて、今に至ります。


長きにわたり“都市近郊に残る非電化区間”として名を馳せていた片町線ですが、JR化の直後(平成元年3月ダイヤ改正)をもって長尾~木津間が電化されたことで、気動車の時代も今や昔・・・となりました
(いや、気動車時代の片町線、知識としては知っていても、乗車したことはないんですけどね・・・)。

京都市や大阪方面の“ベッドタウン”として、また、京阪奈学研都市や大学の移転等もあって、それだけこのあたりの人口も増えているということなのでしょうね・・・。


そもそも、“愛称”好きなJR西日本のこと、正式名称の“片町線”が使われることもほとんどなく--そもそも、線名の由来になった「片町」駅からして、JR東西線の開業による一部線路切り替えに応じて廃止されましたし(平成9年)--、“学研都市線”なるオサレな線名が前面に出されています。

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(画像は別の日のもの。データイムにはこうして滞泊している編成がいます・・・)
オサレになったからかどうかは知りませんが、JR東西線の開業以降、基本的にはほとんどの列車がJR東西線を介して東海道本線や福知山線と相互直通するようになり、車両もJR世代の207系と321系に統一されています。
オールロングシートですけどね・・・

まあ、この片町線、直接のライバルとなる民鉄が存在しないので--あえていえば、近鉄けいはんな線+大阪市交中央線と、京阪本線+交野線なのでしょうが、会社間を跨いで運賃が割高だとか乗り換えが面倒だとかいった理由により、片町線の乗客を奪う状況にはなってないような気も・・・--、東海道本線あたりと違って、転換クロスシート車でなくても問題なという判断なのでしょうね
(一時期、223系が「直通快速」として奈良~尼崎間を結んでいたことがありましたが、JR東西線へのホームドア設置を理由にして207系&321系に置き換えられ、アコモデーションレベルが“下がる”というとんでもないこともあったものです・・・)。




前置きが過ぎました・・・。
そんな京田辺駅も、非電化時代の“The・田舎駅”から一変した高架駅になってしまい、モダンになったのはいいけれど、個性はなくなりました。
さらに、やってくる車両も、JR世代に統一されていると言えば聞こえがいいのですが、オールロングシートの207系と321系のみです。

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そんな高架駅舎の一角に、動輪のモニュメントがありました。

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説明板によると、かつて片町線を走ったC11形蒸気機関車(324号機)のものだそうです。
かつての非電化時代の片町線の姿を説明するプレートとともに設置されています。

さながら、高架駅の守り神・・・というところでしょうか。

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傍らを過ぎゆく“孫たち”(?)というべき207系や321系を眺めながら、きょうも“おじいちゃん”(?)の生きた証は、駅を見守っている・・・ような気がしました。
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非公開コメント

No title

話はそれますが、近鉄と言えば、ここ10年ほど、ダイヤ改正のたびに減便&急行以下の新型車両の導入がないという印象があります。阪神なんば線の車両は新型車中心のようで気づかなかったですが、ネット情報で知りました。
近畿車輛が関連会社にありますが、ここは他社からの受注が多く肝心の親会社からの受注がないという状況です。

1990年代の伊予鉄バスや10~20年ほど前の阪急や南海などが新車導入を凍結し、最近になって老朽車両だらけになる様子を目の当たりにしているので、10年後の近鉄は今の阪急や南海の状態になりそうな気もします。
世間は好景気なのになぜ新車導入を渋っているのか、なにか理由がありそうな気がします。

No title

先の記事ですが、名前の欄に誤ってタイトルを書いてしまいました。私が投稿したものになりますので、ご連絡いたします。

たしかに・・・

「近鉄は新車があまりない」さん、コメントありがとうございます。
冒頭で近鉄に乗ったときのことを書いておきながら、このときは近鉄の画像を全く撮っていなかったもので・・・看板倒れです(過去に乗車したときの画像を「イメージ」としてそのうち追加するようにします・・・)。

それはともかくとして、確かに、近鉄は特急車両については少しずつ新製を続けているものの(50000系「しまかぜ」や、22600系「Ace」など)、一般形車両は「シリーズ21」以来、ぱったりと新製が止まっていましたね。
阪急のように既存の車両に徹底したリニューアルを実施するわけでもないので、確かに「古さ」を感じることが多くなりました。
ダイヤ改正の旅の減便と言えば、京都線もかつての15分パターンが20分パターンになって久しいです(今年のダイヤ改正から、インバウンド需要に引きずられて京奈特急を増発するようですが・・・)。
この調子でいけば、東の東急車輌が総合車両製作所になったように、近畿車輛がJR西日本の傘下になることも、ありうるのかもしれません(おそらく、現状でも近畿車輛の最大の“お得意様”はJR西日本でしょうし・・・)。

もっとも、乗客が多く収益力もそれなりにある首都圏の事業者と比べると、どうしても関西圏の事業者は収益力に劣り、新車導入にかけることのできるコストも限られてくるでしょうから、旧車の割合が高くなること自体は、しかたないのかもしれません。
加えて、近鉄の場合は閑散線区を比較的多く抱えており--養老鉄道や伊賀鉄道のように、一部を切り離したとはいえ、他の大手私鉄と比べると--、なおさら状況が難しいのでしょう。そういえば、近鉄や南海は、大手私鉄の割には運賃が高いのですが、そのあたりも「状況の厳しさ」のあらわれなのかもしれません(阪急、京阪、阪神といった他の関西私鉄が“安すぎるだけ”という説もあり)。

他方で、好景気--庶民レベルでは全く実感がありませんが、「給料が下がらなくて雇用があるだけマシ」なのでしょうか?--にしてもインバウンド需要にしても、いつまで続くかわかりません。他方で、車両計画や設備投資計画は、「計画を立てる時期と実際の執行時期にタイムラグがある」がゆえの難しさも、あるような気がします。

それは失礼いたしました

「近鉄は新車があまりない」・・・もとい、KTさん、事情承知いたしました。どうぞお気になさらないでください。
FC2のコメント機能、管理者モードだと名前欄は自動入力されるので問題ないのですが、確かに閲覧者としてコメントする場合は気をつける必要がありそうですね。

No title

以下は片町線を走っていた103系が常磐線に転属した直後のスナップです。
http://blog-imgs-67.fc2.com/k/a/e/kaede150421/Image24_2014063021281977c.jpg
この編成のオレンジは淀川、スカイブルーは日根野、カナリアは宮原と関西各地から松戸に集結させました。
これは'84年の出来事ですので、当該駅にはまだ非電化区間の一つであったかと思われます。

103系

ねるねるさん、コメントありがとうございます。
カラフルな103系、地域の枠を超えた全国転配が当たり前だった国鉄時代ならでは・・・の光景ですね。
それにしても、あれだけ大量--3000両オーバー--いた103系がいまや絶滅危惧種だというのですから、時代の流れは恐ろしいものです。
はるか昔に消滅した片町線はともかく、大阪環状線や阪和線からもついに消滅し、最後に残るのは関西本線か奈良線か、はたまた播但線か・・・。

1984年であれば、片町線の電化区間は長尾駅までですから、京田辺・・・もとい、田辺駅も非電化区間の中にあったことになります。末端区間とはいえ都市近郊ということもあってか、関西本線を電化(奈良電化)で追われたキハ35系の天国になっていたとかいなかったとか・・・(もっとも、非電化時代の片町線、結局一度も乗ることがなかったのですが・・・)。

長尾~木津非電化時代の片町線

一度だけJR化直後(87年中坊時代の夏休み)に乗った事があります。

京橋駅からオレンジの101系6連(もしかしたら103系だったかも知れませんが、101系も2~3編成は現役でした)に揺られて長尾駅へ。ホームに止まっていたキハ35+58の2連を見て、すごい格差を感じたものです。その時以来、今に至るまで(2018年、31年前かぁ、そら私もエエおっさんになるわ)乗る機会が無いので、木津まで通勤型電車が7連で直通している事に未だに違和感ありありです。

その時、キハ58の相手がキハ28では無くキハ35だったのはちょっと辛かったです。なぜなら58は冷房化されていたのに、相手が35では58の冷房装置も宝の持ち腐れでしたからね。

でも窓全開でゴトゴト揺られる旅も、それはそれで良かったですね。何せ今の鉄道車両は固定窓ばかりですからね。

Re: 長尾~木津非電化時代の片町線

r34さん、コメントありがとうございます。

正直なところ「昔の片町線」は知識でしか知らないのですが、207系導入前は、103系と101系の天国でしたね。
そして、長尾以遠はJRになってからもしばらくは気動車でした。
キハ35とキハ58の編成、アコモデーションの落差もさることながら、ご指摘の通り(冷房用の電源がないので)屋根には乗っているのに宝の持ち腐れなキハ58の冷房装置・・・国鉄時代からJR初期にかけては、全国のいろいろなところで見受けられたものでした。そんな気動車が行き交っていた片町線の末端部も、今ではすっかり別物です。

7連を木津まで直通させてどうするのだ・・・という説もありますが、時間帯によっては実際に需要があるようですし、編成両数を増やすことによるランニングコストの増大(動力費など?)よりも、作業要員を減らし、運用を効率化するメリットの方をとった、ということなのでしょうね。

それにしても、冷房化が始まった頃は窓が開かずに空調の効いた車内が熱烈に歓迎されたわけですが、猫も杓子も空調完備の固定窓・・・となると、かえって窓全開で自然の風に当たる方が「贅沢」に思えるのですから、人間不思議なものです
(だからこそ、全国各地でトロッコ(風)列車が流行るのでしょうし・・・)。
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キモメン兼デヴ兼クソヲタ兼フニーターで当然の帰結として“プア”・・・。略して“キモプア”。
その中でも(まあ、ほかに“キモプア”を自称する物好きもいないでしょうが・・・)選ばれし“逆”エリートゆえに“紙”(ペーパー的な意味で・・・orz)。

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