リニア・鉄道館探訪記(29年夏・その③)

「その②」のつづきです・・・

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0系の隣に鎮座しているのは、かつて名古屋駅を彩った特急形車両です。
まずは、自然振り子式による(国鉄時代においては)圧倒的な走行性能を誇った381系電車

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そして、四国人としては“名古屋の象徴”扱いされると微妙な心境にもなる、キハ181形気動車です。

どちらも、特急「しなの」号に充当されたという縁で(?)、前後に並んで展示されています

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なお、0系新幹線との位置関係は“ごらんのとおり”で、仲良く(?)並んでいます。




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まずは、381系の車内から。
青系統の回転リクライニングシートが、(国鉄特急普通車標準の)910mmピッチで並べられています。
振子車両らしく、全席に手すりが付いているのがポイントですね・・・。

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ころ式の振子機構を備えた台車周り。
制御されないので、振り遅れや振り戻しは毎度のこと・・・だがそれがいい(・・・と、最後に残された381系定期列車である“やくも”号に乗ると思うのです・・・)。

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振子車らしく絞られた裾。

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“振子車らしい”といえば、低重心化を徹底させるべく、屋根上にはほとんど機器がありません。
二階の回廊から眺めてみると、“屋根のスッキリ具合”が半端ではありませんね
(もっとも、JR世代の振子車両はここまで極端な屋根上の軽量化に走らず、空調機器を遠慮なく屋根上に搭載するようになりました(JR四国8000系を除く))。

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号車表示や種別表示はサボ、列車名と行先は方向幕というハイブリッド(?)仕様。
これは、キハ181系でも同じでした(ただし、先頭車のキハ181形には方向幕がありません)。

そういえば、最後まで頑なに“L特急”を残し続けたJR東海も、遂に(?)“L特急”の呼称を消滅させるそうで・・・
(平成30年3月ダイヤ改正より)。

これもまた、“国鉄は遠くになりにけり”・・・の、ひとつのあらわれなのでしょうかね。

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ちなみに、車内に立ち入ることはできませんが、建物の奥の展示線には、JR東海が“魔改造”(?)したパノラマグリーン車である、クロ380形の11号車も展示されています。

この愛嬌のある顔というかなんというかで、“国鉄色”・・・というミスマッチが、思い出深いといえば思い出深い車両です。
JR初期に、国鉄形車両をやたらめったらグレードアップ改造していた時期の、生き証人ともいえましょうか・・・
(もっとも、グレードアップ・・・という割には、このクロ380形10番台、グリーン車も横4列のままだったのですが・・・)。




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さて、クハ381形トップナンバー車の奥には、キハ181形のトップナンバー車が展示されています。
もちろん、新製配置は名古屋で、「しなの」号として当初活躍していたことは事実ですが、381系電車に追われて四国へ転配され、生涯の大半を四国で過ごしています。
・・・ということもあって、個人的にも思い入れの深い車両です。

四国特急の屋台骨であったキハ181系が、四国ではただの1両も保存されておらず、こうして名古屋を訪ねるか、あるいは津山(まなびの鉄道館)を訪ねるかしなければ会うこともできないのは、もどかしいところですね
(「四国鉄道文化館」がもっと昔からあったならば、まちがいなく収蔵車両に加えられていたのでしょうが・・・)。

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ともあれ、車内が公開されていますので、入りますよ
(なお、キハ181形はトイレがなく、方向幕を設置するスペースもないためか、号車札と種別サボがあるだけです・・・)。

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昭和40年代の国鉄特急形--キハ181系気動車、581/583系電車、14系客車、24系客車・・・等々--で流行った、折戸を抜けて・・・

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外観こそ国鉄色に戻されたものの、室内はJR四国で廃車された当時の姿を、今に伝えます。
これもJR初期の「国鉄形車両のアコモデーション改良」の波に乗せられて・・・なのでしょうが、普通車もリクライニングシートに交換されました。
当初はキハ185系の原形と同様に、ベージュ系のモケットで統一されていたのですが、瀬戸大橋線の開業に前後して、一部車両がこの赤系のモケットに交換されています(座席はベージュ系時代と同じ)。
そして、撤去された回転クロスシートが急行形気動車(一部のキハ58形)に移植され、急行列車のアコモデーションも向上した・・・というのも、今や思い出です・・・。

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とはいえ、同じキハ181系でもJR西日本の所属車両のような、いわゆる“R55”系統の座席ではなく、なぜかオリジナルな座席です(四国のキハ181系以外では、見たことがないのですが・・・)。
テーブルの裏面にまでモケットが貼られているという謎仕様。

一説によると、かつての「アイランドエクスプレス四国」(50系客車の魔改造車、座席は現在も「アイランドエクスプレス四国II」で拝める模様・・・)と同様に、船舶用のリクライニングシートを転用した・・・のだそうですが、はたして真偽や如何に・・・
(JR化直後においては、JR四国は宇高連絡船を運航していたのですから、ありえない話でもないかと・・・)。

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なお、テーブルには穴があいていますが、ペットボトルは“はまりません”。
おそらく、当時の車内販売で提供されるコーヒーの紙コップに合わせたと思われるのですが、現役時代にはおいそれと車内販売も使えなかった--何せ、キハ181系の現役時代には、まだ小中学生だったもので・・・--ので、今となっては真偽は判然としません。

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車体断面。
当たり前ですが、振子車両とは全然違います・・・。

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床周り。
気動車らしい密集どあいとメカメカしさに、いろいろな意味でクラクラ・・・(苦笑)。

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“こだま形”(20系→151系電車)以来の特急シンボルマーク。

そういえば、辛うじて“国鉄特急形”に属するキハ185系(昭和61(1986)年登場)はもはやこのシンボルマークを装備しておらず、「もはや国鉄も終わりなのか」・・・ということを、子供ながらに思ったものでした。

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キハ181形といえば、何といっても車体の1/3を占める巨大な機械室ですね。
停車中だろうが何だろうが、発電用機関が轟音を駅頭で発していたのも、今や昔です・・・。

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ちなみに、奥の展示線には、キハ82形の73号車が展示されています(車内への立ち入りは不可)。

正直なところ、名古屋口の特急形気動車という意味では、「ひだ」号や「南紀」号で長年活躍してきたキハ82系の方がよほど相応しいようにも思われるのですが、キハ181形の方が--おそらくは、佐久間レールパーク時代以来からの伝統で--外に出てきてくれているおかげで、四国時代の“思い出”に接することができるともいえるわけですから、難しいところというか、複雑なところというか・・・。

「その④」につづく・・・
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非公開コメント

No title

名ナコの80系DC、意外と出入りが激しくて最後まで残ったキロ80は北海道から来たクルマでした。
そして元四カマの181系、国鉄時代は車端ダンパーがあったはずなのですが撤去はJR化後でしょうか。
ほぼ同一の車体を持つ14系座席車も、JR四国から東武に流れてきたのには存在しないようです。

ダンパー

ねるねるさん、コメントありがとうございます。
正直なところ、四国出身者にとってキハ80系はほとんど縁のない車両であり、現役時代にはついぞ一度も見かけることがありませんでした・・・。
そういえば、某鉄道誌の記事で、高山本線にキハ181系(「しなの」が381系化された際には四国に転配されたので、「つばさ」が485系化された際の転配だったかと)を導入しようという計画があったものの、現場が(同系統の機関や機構を搭載する)キハ91系でトラウマを起こしていて大反対し、結局、キハ181系を山陰に送り込み、玉突きで捻出されたキハ80系が名古屋に来た・・・という話がありましたが、どうなんでしょうね。

また、キハ181系の車端ダンパー、恥ずかしながら私は全く意識したことがありません・・・。
物心着いた頃には「なかった」というのが実情でして、さて、いつ頃撤去されたのでしょうね・・・(14系についても、事情はさっぱりわかりません。もっとも、あの14系、「JR四国は結局何がしたかったんだ?」状態なんですけどね・・・)。

No title

JRWのキハ181ですが、妻面にダンパー装置あるのがお判りになられるかと思われます。
https://imgur.com/qs5pWUA.jpg
これで車輌単位での揺れを少しでも抑え、乗り心地を良くする工夫が国鉄特急型の必須アイテムでした。

181系、トンネルの多い線区では自然冷却システムが仇となり中央線や奥羽線での故障・補機使用がネックとなりました。
起終点の距離的が短く、十分な冷却が期待できる線区として四国が選ばれた一つかもしれません。

もう一つは電化区間でのがんばり。奥羽線の遅れを東北線でカバーするのが、つばさ181系の走りでした。
はまかぜも新快速から逃れるために、その威力を最大限活かせたのでしょう。

続・ダンパー

ねるねるさん、コメントありがとうございます。
JR西日本ではかなり遅くまで--といっても、もはや引退から7年を経ているわけですが・・・--キハ181系が活躍していて、実際に「はまかぜ」号にも乗りに行ったことがあるにもかかわらず、ダンパーについては全く意識したことがありませんでした。情けなや・・・。
西日本では残されていたということは、四国の独自判断でダンパーを撤去したことになるようですが、どういう事情があったのでしょうかね・・・。
四国では大して飛ばさない・・・といっても、飛ばさないのは播但線や山陰本線でも大して変わらないような気はしますが・・・(そして、新快速の間に挟まれて走っていた大阪~姫路間でも、停車駅が少ないのに新快速よりも時間がかかっていたものです)。

もっとも、JR以降のキハ181系は、中央本線や奥羽本線を「過負荷」状態で突っ走って--そして故障を続発させていた--時代からすれば、「流している」にもほどがあったという説もありますので(そのあたりの事情については、「極限の気動車181系」という老舗サイトに詳しいです)、ダンパーを撤去しても状況に大差はなかったのかもしれません。

なお、キハ181系を四国に導入したのは、公式には島内各所に存在する急勾配区間に対応するため・・・ということになっていて(キハ80系では荷が重いということでしょう。勾配線区では急行形気動車よりもキハ80系の方が「遅かった」という話もあるくらいですし・・・)、それは間違っていないのでしょうが、四国では昭和40年代の半ばにキハ65形が量産投入され、大馬力・新世代気動車の威力を目の当たりにしていた、ということも、陰では大きかったように思われます(あくまでも推測ですが・・・)。
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Author:キモプアの紙
キモメン兼デヴ兼クソヲタ兼フニーターで当然の帰結として“プア”・・・。略して“キモプア”。
その中でも(まあ、ほかに“キモプア”を自称する物好きもいないでしょうが・・・)選ばれし“逆”エリートゆえに“紙”(ペーパー的な意味で・・・orz)。

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