リニア・鉄道館探訪記(29年夏・その②)

「その①」のつづきです・・・

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あおなみ線を始発の名古屋駅から終点の金城ふ頭駅まで乗り通すこと約25分。
終点の金城ふ頭駅に降り立つと、眼前にはリニア・鉄道館の偉容が広がっています。

名古屋港沿いの埋め立て地という--日本国内の鉄道系博物館の中でも群を抜いて(?)--辺鄙なところだけあって、土地はゆったりと使われています。

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背後にはあおなみ線の高架。
なお、何かと物議を醸したレ※ランドは、リニア・鉄道館の反対側に位置しています
(どれくらい客がいるのかは・・・知らない)。




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さて、自動券売機で入館券を購入して、館内に入りますよ。
まずは、国内のスピードレコーダーが一堂に集う“シンボル展示”のエリア。

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開館から変わることなく、狭軌蒸気機関車最高速度記録を保持するC62形17号機、

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新幹線試験車300X系先頭車955形6号車、

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リニアモーターカーの試験車MLX-01形1号車が、3両並んで展示されています。

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京都鉄道博物館(梅小路蒸気機関車庫)でもおなじみのC62形ですが、幻想的な照明に照らされると、また雰囲気が変わりますね・・・。

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955形は、設備の古い東海道新幹線区間(米原~京都間)にて、最高速度443km/hを記録しています。
設備が古く、高速走行に適さない東海道新幹線区間で達成したこともさることながら、“20年以上前の記録”であることに、今更のように愕然としたりも・・・
(営業最高速度は着実に向上している新幹線ですが、そういえばこの手の“高速走行試験”が行われなくなってから久しいようにも・・・。平成初期(1990年代)には、東海、西日本、東日本・・・それぞれに高速走行試験に熱心だったんですけどね・・・。速度よりは騒音等の環境対策の方が優先される日本の宿命なのでしょうか・・・)。

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2階の回廊部から“シンボル展示”エリアを見下ろしてみると、3両仲良く(?)並んでいることがよくわかります・・・。




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“シンボル展示”エリアを抜けると、歴代の(東海道)新幹線車両の並ぶ“車両展示エリア”です。

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みんな大好き(?)0系から、

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国鉄末期~JR初期に鉄道少年として過ごした現在中年世代(?)にとっては輝かしい象徴であった100系、

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登場した頃は、“走り”の面でこそ一世を風靡したものの、“アコモデーション”や“乗り心地”の面では結構叩かれていた300系、

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廃車が進んでいるとはいえ、なおも現役の700系・・・と、

まさにオールスター

・・・状態です。

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0系のスカートには車号がペイントされていたり、

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100系ダブルデッカー--車両限界をいっぱいに使っているだけあって、圧倒的に“デカイ”--を目の当たりにして、

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いかに車両限界をフルに使っているのかを体感できたり、

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“カモノハシ”などと揶揄されることもある・・・

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700系の先頭部が、何気に空力に気を遣った複雑な造形になっていることを目の当たりにできたり・・・というのも、博物館に収蔵されて“じっくり”と眺めることができるがゆえに、気がつくことなのかもしれませんね・・・。




ここ、「リニア・鉄道館」のウリは、主な車両の車内に立ち入ることができること・・・といえます
(良好な保存状態を保つため・・・という言い分は理解できるのですが、京都鉄道博物館の一番物足りないところは、原則として車内が非公開になっていること・・・なんですよね)。

新幹線車両群についても、基本的に立ち入り可能です。

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まずは0系先頭車(21形86号車)の原形な転換クロスシート。
JR化前後に、急行形車両や快速用車両のアコモデーション改良用にさまざまな車両に“移植”されたものの、今となっては絶滅寸前です
(今でも現役で拝めるのは、われらがJR四国の“なんちゃって新幹線”こと鉄道ホビートレイン、JR九州のキハ31形、京都丹後鉄道のKTR700/800形くらいではないかと思われますが・・・私が知らないだけかも・・・)。

なお、訪問日は「0系新幹線の運転室開放」ということで、お子様や親子連れが何人か車内前方で並んでいました(よって、車内の全景がない・・・と)。
0系の運転室は、この訪問の20日ほど前に、「四国鉄道文化館」にて立ち入ったところということもあって、並んでまで立ち入ることはせず・・・。

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デッキには冷水機。
今では絶滅した設備ですが、かつては「ペットボトルで水を買わなくてもタダで水が飲めた(味やクオリティーは知らない・・・)」ものです。
今となっては「買って飲むもの」となっているところに、時代の流れを感じずにはいられません・・・

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隣には、食堂車である36形の84号車が保存されています。
こちらも、車内に立ち入ることができます。

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通路を抜けると・・・

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ゆったりと配置された食堂が展開しています。
かつては当たり前のように連結されていた「食堂車」・・・。今となっては「博物館で眺めるもの」になってしまいました。
こんなことなら、連結されていた頃に無理してでも利用しておけば・・・と思っても、後のお祭りですね・・・。

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0系の隣にいる100系の先頭車は、123形のトップナンバー車です
(細かいことをいうと、量産先行車の9001号がトップナンバー車になるのか?
あと、どうせなら“4号車”を保存していれば、“123-4”と、ネタになった(?))。

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横5列というのは0系と変わらないながらも、圧倒的なシートピッチとゆとりあるリクライニングシートに、登場した頃には感嘆したものです。
編成としての“総合的なサービスレベル”という意味では、新幹線史上最高峰の車両であった・・・とも、いえるかもしれません
(現状の“ビジネスに特化した”東海道新幹線からすると、2階建て車両だの食堂車だの個室だのといった設備が登場することは、もう二度とないでしょうね・・・)。

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洗面台の鏡は三面鏡になっていました。

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100系についても、食堂車が保存されています(168形9001号車。量産先行車なので、正真正銘のトップナンバー車(?))。
これが、“伝説のダブルデッカー食堂車”でして、登場時のインパクトもさることながら、博物館に収蔵されてもインパクト抜群というのは、さすがというべきか何と言うべきか。

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二階の回廊から眺めてみると、この168形だけ頭ひとつ飛び出していることがわかります・・・。

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階段を上がれば食堂、降りれば通路です。

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2階食堂部。
現役時代に、この高い視線から優雅に食事を一度くらいはしてみたかったものですね・・・。

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他方、階段を降りて1階部は通路と厨房です。

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車両限界に挑戦!・・・といわんばかりの構造。

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一方、こちらは300系先頭車の車内(322形9001号車(量産先行車))。
半間接照明は、平成初期に流行った・・・ような気も、しないでもありません。
長らく300系から岡山駅で接続していたJR四国8000系も、(普通車は)半間接照明でしたしね(リニューアルを経た今もなお・・・)。
アコモデーションについては100系に準じるものとなっていたものの、軽量化に注力しすぎて、座席は全般に華奢、掛け心地も全般にアレ・・・。
しかも、高速で走るようになったのはいいのですが、車体傾斜装置もなければセミ/フルアクティブサスペンションもなく、トップスピードの270km/hで突っ走っているとガタガタ揺れていたのも、もはや思い出になりました。

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ということで、座席そのものはもちろんのこと、座席の脚もやっぱり軽量というか、華奢です。
私のような100トンオーバーが3人掛席に3人乗ったら・・・大丈夫なのか
(乗る人間も軽量化しないとな!(失笑))。

現役時代にはなるべく避けていた--とはいえ、後年に「ひかり・こだま」ダイヤに充当されるようになると、それほど揺れていたという印象もないので、270km/h走行に(車両性能としてはともかく、乗り心地的な意味では)無理があったという説もあり・・--のですが、本線上から消えてしまうと、それはそれでわびしいものですね。

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そして、今も仲間が現役--といっても、急速に数を減らしつつありますが--700系の先頭車(723形9001号車。こちらも量産先行車)。
軽量化命の華奢な座席であることに変わりはないのですが、300系で相当ブーイングでもあったからか、少しはマシになりました。
・・・とはいえ、山陽新幹線では高級な“レールスター(7000番台車)”が走っているので、どうせ700系に乗るならレールスター・・・と、私の場合はなっていたりもします(それだけ、“東海道新幹線をめったに使わない(高くておいそれと使えない)”ことの裏返しでも、ありますが・・・)。

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座席の脚周りは300系とあまり差があるように見えません。

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ちなみに、電光掲示板は“リニア・鉄道館オリジナル表示”になっていました。
細かいですね・・・。

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なお、二階の回廊から見下ろしてみると、このような位置関係となります。

「その③」につづく・・・
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No title

開館計画には新幹線博物館とありましたので西や東の固有形式でも入れるかと思ったのですが、結局は一部を除き自社生え抜きでまとめてしまいましたね。

当方も食堂車の利用は一度もありません。
(親は)混むのと値段高いのを嫌ってか、もっぱら駅弁で済ませたようですw

食堂車

ねるねるさん、コメントありがとうございます。
リニア・鉄道館の収蔵車両、前身の施設である佐久間レールパークの車両の移転先という面もありましたので、何でもかんでも新幹線・・・というわけにはいかなかったのでしょうね。
また、新幹線を国鉄時代から継承したJR東日本、東海、西日本が、それぞれに鉄道系博物館の運営に携わっていて、各社の車両が自社系統の博物館に収蔵されることも、一因になっているかと思われます。

また、食堂車、確かに「お高かった」ですね。
コストパフォーマンスという面もさることながら、私の場合は新幹線に乗車するのが京都・新大阪~岡山間と短く、その意味で使いにくかったというところもあります。それでも、今となっては一度くらい無理してでも体験しておくべきだった・・・と、後悔することしきりなんですけどね・・・。
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キモメン兼デヴ兼クソヲタ兼フニーターで当然の帰結として“プア”・・・。略して“キモプア”。
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