剣山7号

「普通5550D~普通4552D~むろと4号」のつづきです・・・

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甲浦往復を経て、14時過ぎの徳島駅に戻ってきました。
ここから先は・・・

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徳島線を走る特急「剣山7号」に乗り継いで、阿波池田駅を目指します。
「むろと4号」からの接続はあまりよろしくなく、約1時間の待ち時間があります。

JR四国の関連事業に敬意を表して、パン屋「ウィリーウィンキー」にてパンをいくつか調達して、さっさと展望席の乗車位置に並ぶことにします
(「剣山」号の下り列車の先頭席は、すべて自由席のため、早い者勝ち・・・)。

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「剣山」号を始め、徳島線の列車は、駅本屋に最も近い、行き止まり式の1番乗り場(かつての0番乗り場)から発車することが多いですが、“絶対”ではありません・・・。
もっとも、「剣山7号」については、1番乗り場からの発車です。

その1番乗り場の眼下を眺めてみると、二つのキロポストが設置されていました。
手前側の「0」表示のものは徳島線の起点を示し、奥の「74」表示のもの--見えにくいですが--は、高徳線の終点(間近)を示すのでしょうか・・・。

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振り返れば徳島運転所。
国鉄形とJR形が共存しています。
たまたまか、昼寝しているだけなのか、国鉄色に戻されたキハ47形もいました。

なお、徳島運転所には常時キハ185系がいますが、これらのキハ185系の所属はすべて高松運転所。
四国の四運転所のなかで、唯一特急形車両の配置がないのが、ここ徳島です。
他方で、新鋭の一般型気動車である1500形は徳島にしか配置がなく、そのあたりで“バランス”(?)を、とっているのでしょうかね・・・。




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炎天下で待つことしばし--あまりにもクソ暑いので、ホーム上のアイスクリーム自販機で買ったアイスを、しばらく首に当てていたというのはここだけのアレな話です・・・--、阿波池田駅からやって来た「剣山8号」の編成が到着しました(徳島14:45着)。

この編成が車内整理のうえ、折り返し「剣山7号」になります。
何気に、今年になって国鉄色に塗り戻されたキハ185形が充当されていました。

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他方で、ヘッドマークはごらんのありさま・・・
国鉄色にこのヘッドマークは違和感炸裂にもほどがありますが、キハ185系は塗装にかかわらず共通運用ですからね・・・。

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外観は国鉄色ですが、座席も登場時のベージュのモケットに復元・・・とは、ならなかった模様・・・
(細かいことを言うと、モケットの変更と連動して、1990年代初頭に手すりが増設されているため、国鉄時代の座席そのまま・・・でも、ないんですけどね・・・)。

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現代の基準からすれば、辛うじて及第点というか、やや“しょぼい”とも思われる座席。
昭和61(1986)年の登場時には、普通車の座席がリクライニングする・・・ということで、衝撃を受けたんですけどね・・・
(当時併用されていたキハ181系の普通車は、オリジナルの回転クロスシート(もちろんリクライニングなど欠片もしない・・・))。

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ちなみに、国鉄色に復元されていながら、JRマークが存置されているというのは、画竜点睛を欠くというか、何というか・・・。
まあ、キハ185系が「国鉄車両」であった時期は4ヶ月ほどですから、難癖なのかも、しれませんけどね・・・
(そもそも、JNRマークもなければ、特急シンボルマークもなかった・・・)。

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帯の色が変わるだけで車両全体の印象が“がらっと”変わるのですから、塗装のマジック恐るべし・・・
(誰ですか、テープの色を変えているだけやん・・・などとヤボなツッコミをしているのは・・・(苦笑))。

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そんな国鉄色のキハ185形に挟まれしは・・・

みんな大好き・ゆうゆうアンパンマンカー


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連結面のこの“落差”。

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車内から眺めてみても、“ごらんのありさま”ですよ・・・。



お子様に大人気のスペースですが、実はこの車の座席はキロハ186形の“グリーン車”座席。
いわゆる“隠れグリーン車”となります・・・。

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もっとも、“隠れグリーン車の旅”は最終日のおたのしみ・・・にとっておきまして、このときに乗り込んだのは3号車の自由席です。
入線前にチラホラと列らしいものはできましたが、堂々3号車前側扉に先頭で並んでいただけのことはありまして・・・

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引き続き展望席の旅ですよ。
ホント、キハ185系は運転スペース(A席側)とデッキの間に仕切・窓がない分、展望性は圧倒的です

これで、「むろと1号~むろと4号~剣山7号」と、すべてキハ185系の最前列展望席に居座ることになりました・・・。
第一日が“2000系グリーン車祭り”だったとすれば、第二日はさしずめ“キハ185系展望席祭り”・・・といったところですか?

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そんな先頭車には、こんな“荷物”が・・・。
おそらく夕刊なのでしょうが、途中の主要停車駅で降ろされていっていました。

かつてであれば荷物列車が仕立てられたか、定期列車に荷物車が連結されていたのでしょうが、これが“現代の荷物車”なのかも、しれませんね・・・。

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ステンレス便器むき出しのトイレと

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利用者がひねらない出てこない蛇口(しかも、真夏であれば水のコックをひねったはずが、タンク内や配管内で加熱された熱湯が時折出てきてビビる・・・)も、国鉄世代の象徴なのかも、しれませんね・・・。




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15:01、定刻通り「剣山7号」は徳島駅を出発しました。
3号車自由席は、3割程度の入りと、ラッシュ時を除く徳島線特急の現状を典型的に示すようです・・・。

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佐古駅通過。
徳島~佐古間は、四国でも少数派の複線区間となります
(実際には“複線”の見かけをしているものの、高徳線と徳島線の単線並列区間だったはずですが・・・)。

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高徳線(画面右側)から分かれて、徳島線に進路をとります・・・。

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地図上は吉野川の南を走る徳島線・・・。
急勾配があるということもなく、線形は比較的良好で、キハ185系がまったりと走っているくらいが、ちょうどいいのかもしれませんね・・・。

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“まったり”と走っていることもあってか、両開き分岐器の駅が多数残存しています・・・
(四国内で一線スルー化がまともに行われているのも、予讃・土讃・高徳の主要三線くらいなのでしょうが・・・)。

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15:26、阿波川島駅に着きました。
3番乗り場では、徳島駅を先発してここまで先行してきた普通455Dが待避していました。

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阿波川口駅を出ると、何かと有名な「学」駅を通過します。
受験シーズンになると、この駅の入場券が五枚セットで売り出されることでも知られています。

つまり、“五入学=御入学”という語呂合わせですね。

なお、私自身も遙かな昔の受験生時代に通信販売で購入しましたが、第一志望の某宮廷にはあえなく落ちました・・・
(まあ、私がアホなくせに背伸びをしすぎたからですが・・・。結局、第二志望の大学に入りましたけどね・・・)。

余談ついでに言うと、学駅は無人駅につき、入場券を購入しなくとも、駅構内に入るだけならば自由に入ることができます。
まあ、語呂合わせによる縁起物ということで・・・。

さらにどうでもいいことですが、特急列車が、一線スルーになっていない分岐器を通って駅を通過するというアレな光景を展開していたりもします・・・。
まあ、キハ185系の性能と、徳島線特急の停車駅の多さを考えると、どうせ表定速度は60km/hほどにしかならないのですから--この「7号」の場合は、徳島→阿波池田間の74.0kmを75分で運転しますので、まさに60km/hに若干届かない表定速度となリます--。

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15:35、阿波山川駅に着きました。
JR世代の駅名標と、国鉄世代の駅名標(画面奥)が共存しているのが、面白いところです・・・。

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地図上は吉野川の南を走っているはずの徳島線ですが、吉野川を車窓に臨むことのできる区間は、案外多くありません。
それでも、こうして吉野川を望むことのできる区間もちらほらと・・・。

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徳島線が吉野川を渡ることはありませんが、このように、吉野川に流れ込む支流を渡ることはあります・・・。

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列車はひたすら西に進みます。
なお、昼間の「剣山」号の場合、途中駅での乗客の増減はあありない・・・という印象でした
(鴨島・穴吹といった拠点駅では、自由席からはそれなりに降りていきますが・・・。むしろ、3号車の場合新聞が途中駅で降りていく方が印象に残っていたりもします・・・)。

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土讃線との合流点となる佃駅を通過すると・・・

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16:16、終点の阿波池田駅に着きました。

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ちなみに、こちらは1号車側ですが、3号車のみならず1号車のキハ185も、国鉄色復元車でした。
キハ185-17(3号車)とキハ185-18(1号車、徳島方)という、2両の国鉄色復元車が“ゆうゆうアンパンマンカー”をサンドイッチしているというのも、いるというのも、シュールな光景ですね・・・。

「南風15号~大歩危駅」につづく・・・
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No title

同じ185でも、こちらは塗装が先祖返りしたのが多数派になりました。
http://imgur.com/s2xEyxC.jpg
117系の転換クロスと差がない普通車で、特別料金取るとは何事と揶揄された形式ですが、気付けば東京に乗り入れる唯一のMT54搭載車輌となってしまいました。

185系

ねるねるさん、コメントありがとうございます。
確かに、185系“電車”は、いつの間にやら国鉄色が多数派になりましたね。
もっとも、徐々に廃車が進みつつあるので、いつまで現役であり続けるのか・・・というところですが。

また、185系“電車”というと、「新特急」を思い出すのも、もはや中年以上に限られるのでしょうか。
185系(電車)を特急に使用することができたのも、クロスシートのサービスが貧困な首都圏だからこそ・・・だったのかもしれません。阪急・京阪と競合する関西地区や、名鉄と競合する中京地区に185系電車“特急”が登場していたら、総スカンでは済まなかったことでしょう。
もっとも、見方を変えると117系が(国鉄としては)出血大サービスの車両だった・・・という見方も、できるのかもしれません(国鉄時代の普通列車グリーン車や特急普通車は、リクライニングしない回転クロスシートの車両もゴロゴロいたのですから・・・)。

他方で、JR化後に、185系電車はリクライニングシートに改座され、117系の一部は300番台化されロングシートが増設されたことを振り返るとき、特急形は特急形として、近郊型は近郊型として、結局は“落ち着くところに落ち着いた”といえるのかも、しれませんね・・・。
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キモメン兼デヴ兼クソヲタ兼フニーターで当然の帰結として“プア”・・・。略して“キモプア”。
その中でも(まあ、ほかに“キモプア”を自称する物好きもいないでしょうが・・・)選ばれし“逆”エリートゆえに“紙”(ペーパー的な意味で・・・orz)。

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