京都鉄道博物館探訪記(その⑦)

「その⑥」のつづきです・・・

1階の展示をひととおり眺めた後は、2階に上がってきました。

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まず目に入りますのは、“実物大”・・・というよりは“実物”の5トンコンテナ(19D形コンテナ)です。
まだまだバリバリ現役のタイプのことですから、使用済(?)ではなく、博物館展示用に新製されたものだそうです・・・。

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輸送時の中身は、こんな感じになるのだそうです・・・(知らなんだ・・・orz)。

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コンテナのある一角は、貨物輸送についての展示となっています。
国鉄時代から現在に至るまでの鉄道貨物輸送の歴史を、ざっくりと振り返ることができるという次第。

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コンテナで実際に運ばれているものの一例。
“柿の種”って、鉄道輸送(も)されるんですね・・・(小並感)。




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その隣は、鉄道における“小ネタ(?)”を集めた展示室。
食堂車の歴史にはじまり・・・

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鉄道と結びついた音楽、文学、映像といった展示品が、簡潔に並べられていました。

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「トワイライトエクスプレス」号の食器類に混じって、こんなのも・・・。
砥部焼というか「伊予灘ものがたり」号も、今や全国区ですね・・・
(地元なのでさっさと乗りにいきたいのですが、団体枠がざっくりと押さえているためか、なかなか機会がない・・・orz)。

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その隣が、広大なジオラマ展示室です。
一日に何回か、係員のおねいさんによる案内つきの運転タイムがありますが、このときはちょうど14:30からの運転タイムに遭遇しました。
平日の真っ昼間でありながら、

(主に)親子連れに座席が埋めつくされ、哀れ腐れ中年は立席で見学する羽目に・・・orz。

なお、この手のジオラマとしては日本最大を謳うリニア・鉄道館のそれよりはやや小さいという印象ですが、なかなかの見応えはありました。




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続いては、「運行のしくみ」についての展示室。
かつて新幹線の司令所で使われていた山陽新幹線向けのCTCパネルが、圧倒的な存在感を発揮しています
(なお、右側に移っているパネルは、奈良線向けのCTCパネル。どちらも交通科学博物館からの移設品)。

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新幹線向けのCTCパネルの下には、こんな体験型展示が。
題して、

“指令所Q&A”


・・・ということで、CTCパネルの前に座っている(?)列車指令の業務を体験しよう・・・という展示の模様。
お子様や修学旅行のおねいさんに混じって、無駄に腐れ中年が挑戦しますよ・・・。

結果、

“基本的にお子様用”

・・・でした
(まあ、主たる客層を考えたら、それもそうか・・・)。

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こちらはかつて奈良線で使われていたCTC装置。
右側の箱は・・・

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かつて使われていたダイヤグラムの印刷装置でした。
こうやってダイヤグラムは印刷されていたのかと思うと、感慨深いところもあり・・・。

なお、このスペースの隣は、“みんな大好き運転シミュレータ”ですが、それは次回に改めてまとめるとして・・・。




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運転シミュレータの南隣は、これまた交通科学博物館からの移設品である、関西民鉄についての展示スペースです。
各社の概要と、各社を代表する車両の模型が展示されているのですが、

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こちら南海電鉄の展示スペース。
いつまで“初代・こうや号”の20001系の模型のままなのだろう・・・(置き換える気力もないのか?・・・この20001系、すでに廃車から35年は経っているというのに・・・。なお、他の民鉄の模型も、だいたい似たような事情でした。さすがにJR西日本自社の模型は、最新の225系になっていましたけどね・・・)。

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そんななか、一角に「京都市交通局」の展示スペースができていたというのは、ここに移転してからならではの光景といえるのかもしれません・・・。




さらに南へ進みますと・・・

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ちょっぴり“レトロ”な自動改札機を抜けて・・・
(「うらが茶色のきっぷ・・・」というのが、腐れ中年にとっては微妙にドンピシャだったりもする・・・(苦笑))

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きっぷについての展示スペースです。
現代のマルス券から・・・

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かつての硬券に至るまで、きっぷのたどってきた歴史を概観できます。

そして・・・

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高度経済成長期から現代にいたる“指定券”の歴史と切っても切り離せないのが、代替わりを重ねつつも現在も大活躍している“マルス”(コンピュータによる指定券管理・発券システム)。
こちら、昭和40年代に活躍していたマルス105の端末は、さすがに世代的な意味で実感がないのですが・・・

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“パタパタ”・・・もとい、昭和60年代から平成初頭にかけてに活躍していたマルス301の端末は、懐かしすぎて涙が出てきますよ・・・
(クソガキの分際で松山駅のみどりの窓口にたまに出かけて指定券の発券を受けては、目にもとまらぬ早さでパタパタを繰る駅員氏の職人技に感嘆したものです・・・)。

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操作パネル。
こんな配置になっていたんですね・・・(いまさら)。

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マルス端末の上は、マルスの歴史について紹介するパネルとなっています。
余談ながら、最近読んだ本に、

『「座る」鉄道のサービス』(佐藤正樹著、交通新聞社新書060)

がありまして、マルスの歴史について丁寧に説明してくれていましたので、個人的に勉強になったということがありました
(それくらいの情熱と調子で“学術研究活動”にも励めというツッコミは、華麗にスルー(失笑))。

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さらに進むと、

自動券売機と自動改札機の体験コーナー

が、あります。

実際にきっぷの購入と、改札の通過を体験できますので、無駄に試してみましたよ・・・

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模擬自動改札を華麗に通過・・・(苦笑)。

もちろん、ここで出てくる“きっぷ”では、実際の改札機を通ることはできませんが、まだ改札にきっぷを通す必要のない幼児のお子様にとっては、結構得がたい体験になるのかも、しれません・・・。

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私としては、自動券売機の裏側が“こうなっている”ことの方が、インパクトを受けていたりもします・・・。




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きっぷとマルスの展示と並んで関心を惹かれたのが、アコモデーションについての展示。
こちら、三段式B寝台車のモックアップですが・・・

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幅も狭ければ、高さも低い
(特に、上段寝台はいろいろキツいだろ・・・。なお、このモックアップは旧世代の寝台幅52cm仕様につき、なおのこと。私のようなクソデヴが寝ようとした日には、いろいろな意味で“はみ出そう”(失笑)

・・・ところに、「昔の人ってたいへんだったんだなぁ・・・」と、思うことしきり(小並感)。

もっとも、本当の意味で大変だったのは、座席車に詰め込まれた人々か、座席にもありつけずに通路やデッキにひしめいていた人々か・・・。

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旧型客車(座席車)の車内のモックアップもありました(ただし、少し離れたところ・・・。これも交通科学博物館からの移設品ですね)。

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どこかで見たような通勤型電車の車内。

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そして、700系7000番台の8号車の一角を占める普通個室のモックアップ。
これも交通科学博物館からの移設品ですが、昔は実際に座ってふんぞり返ることができたものが、今では立ち入り禁止となってしまいました・・・。

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どこかで見たようなテーブル兼洗面台。
オロネ25形(かつての1人用A個室・シングルデラックス)の廃車発生品と思われますが、このギミックを考えた人、よく考えたよな・・・と、思うことしきりです。

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そんななか、色あせつつも存在感を放つこの座席
言わずと知れた、伝説の“パーラーカー”クロ151形の1人掛リクライニングシートですが、

よくぞ残っていたもので・・・
(東の鉄道博物館にも残っているそうです)

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すっかり色あせてしまいましたが、60年の時を経て、よくぞ形をとどめていてくれたもので・・・。
現代のデフレな4列グリーン車はもちろんのこと、下手な3列グリーン車の座席であっても、これほどの“オーラ”は醸し出せそうにないですね・・・。

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隣には700系7000番台の4列普通席(サルーンシート)が鎮座していますが、比べる方が間違いです。
いや、「普通車」という括りでいうならば、サルーンシートは今もなお十分に上級な座席なのですが、“伝説”と並ぶと分が悪いですね・・・

なお、このサルーンシート、交通科学博物館時代には無造作に置かれて、座っていても誰も文句を言わなかったものですが、ここ京都では“おすわり禁止”です・・・(苦笑)

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アコモデーションについての展示スペースの全景。




その他、2階で個人的に目についた展示品。

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国鉄時代の「新快速」ヘッドマークいろいろ。
現在のように、丸一日中、しかも大半の時間帯において15分ごとに新快速が発着する状況からは想像もつきませんが、

対民鉄キラーとして新快速の運転を開始した45年以上前の“国鉄の意気込み”を、今に伝えてくれます
(そして、昼間帯に限られた本数、限られた区間でしか新快速を走らせることができなかった時代だからこそ、“ヘッドマークの掲出”もまた、できたことなのかもしれません・・・)

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京都“鉄道”博物館だけあって、鉄道のライバルの展示は、模型とパネルが主体です・・・。
この点は、実物のバスや航空機(もちろん“小型機”でしたが・・・)も展示していた“交通”科学博物館時代からの、割と大きな変化なのかもしれません・・・。

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そんな2階の一角にあった、“強制起床装置”
そう、設定された時間になると空気袋が強制的に膨らんでイヤでも叩き起こされるという“アレ”ですが、朝にめっぽう弱い私にとって、“一家に一台”ほしいところ・・・。
実際、一般販売もされているそうですが、結構なお値段がするそうでして・・・orz。




さて、この2階である意味“一番の目玉展示”というべきが、「運転シミュレータ」です。
整理券を受け取って抽選を経なければ体験できないという代物ですが、運良くというか偶然というか、抽選をくぐり抜けて体験しましたので、次はその記録を整理することにします。

「その⑧」につづく・・・
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No title

横長のマルス券が主流になった頃でも、東京駅丸の内側地下で1台だけ縦長券を発券する窓口ありました。
擦り減った駅名ハンコと乱雑な手書き文字が混ざる、いかにも機械化半ばの印象を持つきっぷでした。

52cm幅寝台ですが、かつて存在していました夜行普通列車「山陰」での乗車経験ございます。
当時の編成、Bネは10系軽量客車の一員であるオハネフ12、他の座席車は12系でした。
個々のベッドに備わる仕切りカーテン締め切れば個の空間広がりますが、大人となった今では狭苦しいスペースやもしれません。
また20系以降とは異なり寝台内のランプは豆球。これ以上ない古ぼけた演出を醸し出すアイテムでした。

Re: No title

ねるねるさん、コメントありがとうございます。
私が物心着いた頃には、残念ながら縦長券を発券する端末はほぼ消滅して、横長(横12cm)の券を発券する端末ばかりになっていました。機械印字、押印、手書き・・・と縦横無尽に(?)組み合わされていた縦長券の時代は、“過渡期”だったのでしょうね。

また、10系寝台車にご乗車の経験があるとは、お見それいたしました。
モックアップを眺める限りは“カイコ棚”と揶揄されてもしかたないのかもしれませんが、夜行普通列車や夜行急行列車においては、「横になって眠ることができる」ということが、何よりのサービスだったのかもしれませんね。

余談ながら、私自身は晩年の急行「銀河」号で、辛うじてオハネ25形の2段B寝台に乗車したことがあるだけですが、せっかくの寝台車なのに無駄に興奮してロクに寝付くことができず、東京に着いてから寝ぼけ眼でウロウロする羽目になったことを、今も無駄に覚えていたりもします・・・。

No title

私は前の6月に行きまして、コメントでバインダー式マルスに懐かしさ炸裂などと書いた記憶があるのですが、やはり同様な感想を持たれたようですね(^^)

私も、ブルートレインは90年に「瀬戸」の開放B寝台車とシャワールーム&ラウンジカーをもちろん親同伴で体験しただけで終わってしまいました。。

いま、JR発足30周年として87年3月号とJR化後の同・4月号の時刻表が完全再現で発売中なのはご存知でしょうか。
ここでもちろん予讃線のページを見たのですが、普通列車のあまりのダイヤの悲惨さにぞっとしました(^^;)
(このころは予讃線特急にほとんどの185系を投入していたようです)
当時と状況が全く変わっていないのは、伊予長浜経由の普通列車の運転本数11往復くらいではないかと思います。

KAZさん、コメントありがとうございます。
おそらく、(四捨五入してアラウンドな)40前後の世代にとって、「マルス=301」なのでしょうね。
現代のマルス501の、多機能、タッチパネル、細かい座席指定にも対応してもらえる・・・というシステムに、時代の進歩とありがたみを感じることは確かですが、パネル切り替え端子をさし込み・・・という“ロマン”は、まあないですね(苦笑)。

また、30年前の時刻表が再刊されていることは承知していますが、お値段は一丁前にするので、今一つ食指は動きません。
偶然というかなんというか、1987年4月号のJR時刻表は所有しているので(実家の押し入れにあるので、手元には今ありませんが・・・)、その意味でもあまり食指は動かなかったりもします。
他方で、のちのちの「資料的価値」という意味では、どちらか1冊だけでも(手元にない国鉄最後の1987年3月号だけでも)という気はしますが、さてどうしたものか・・・。

それはともかくとして、国鉄時代は「長編成だがフリークエンシーはない」というのが、地方ローカル線の典型的な姿でしたね。
50系客車なんて、その最たるものかと思われます(伊予長浜経由の普通列車に50系客車が充当されていたなど、今から考えれば信じられない・・・)。

他方で、キハ32やキハ54の導入に象徴されていたように、「短編成化・フリークエンシー向上」への道筋が、四国においてもようやくつけられようとしていた“過渡期”だったのではないかと、今から振り返って見ると思うところです。

余談ながら、当時の予讃線特急「しおかぜ」号におけるキハ181系とキハ185系の比率は、ほぼ半々だったと記憶しております
(1000番台の列車番号となっているのがキハ185系、それ以外がキハ181系・・・と、識別できたはず。国鉄末期~JR初期の時刻表では半室グリーン車(キハ185系)か全室グリーン車(キハ181系)で識別・・・ですね)。
JR移行当時、土讃線にはキハ185系が1往復しか走っていなかったので、気動車第三のエル特急(第一は381系電車と併用されていた時代のキハ181系「しなの」、第二はキハ181系時代の「やくも」)として躍進した「しおかぜ」号に優先的にキハ185系を充当していたのでしょうが、如何せん全体を賄うには車両数が・・・ということだったのでしょうね。
プロフィール

キモプアの紙

Author:キモプアの紙
キモメン兼デヴ兼クソヲタ兼フニーターで当然の帰結として“プア”・・・。略して“キモプア”。
その中でも(まあ、ほかに“キモプア”を自称する物好きもいないでしょうが・・・)選ばれし“逆”エリートゆえに“紙”(ペーパー的な意味で・・・orz)。

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