読書メモ『振子気動車に懸けた男たち』

先日来、JR四国2000系気動車フリークの間で話題沸騰(?)状態になっている例の本・・・

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『振子気動車に懸けた男たち--JR四国2000系開発秘話』を読みましたので、適当にメモ書きを残しておきます。

結論から言うと、

よくぞJR四国というマイナー(?)企業の車両に焦点を当ててくれた
(テーマとして選択して、出版してくれただけでありがとう・・・)

・・・となるのですが、開発に携わった方々への綿密な取材に裏づけられた、まさに“秘話”に相応しい内容は、新書という手軽な媒体でありながらも、読み応えのあるものでした。

私自身、先行試作車TSEが、まだ季節列車(水曜日のみ運休)だった時代に、当時存在した「四国島内フリーパス」で、わざわざ土讃線の「しまんと51号」に乗りに行ったとき以来の“つきあい”を2000系とはしています。
かつてのお子様時代に、学校のグラウンド越しに見える、真新しい2000系量産車による「しおかぜ」号が通るたびごとに、授業中だろうが休み時間だろうが、窓の外を眺めて日々過ごしたいたものです(だからお子様時代にバカだったんだろって?・・・余計なお世話だよ!)。

その後、線路の見えない高校(苦笑)を経て、一浪のあげく京都くんだりの某大学に入り、大学院に入院し、そして今では非常勤バイト講師に化けていますが、そんな長い間の京都住まいの中で、地元との行き来にも、2000系「しおかぜ」号には散々お世話になってきました
(なにせ、8000系電車が圧倒的多数になってからも、岡山で時間調整してまで、好んで2000系充当列車にばかり乗っているし・・・(苦笑)(・・・と書きつつ、「ムーンライト松山」号ありし時代には、ムーンライト号のロザにばかり乗っていたのは内緒だ(笑)。なお、ロザ=グリーン車などと書くと偉そうに思われるかもしれませんが、快速列車だったので、結局、新幹線+しおかぜの自由席特急料金よりも、料金安かったんですけどね・・・))。

・・・ということで、筋金入りのファン諸氏に比べれば“にわか”と陰で笑われそうですが、一般人よりは遙かに2000系への思い入れを持っているつもりです・・・。たぶん・・・。




例によって、前置きが無駄に長くなりました。
そんな、思い入れたっぷりの2000系も、登場からはや四半世紀以上。
そろそろ後継車の話題も出そうなところですが(ある意味、8600系電車も“後継車”と、いえなくはありませんか・・・)、今のところは、土佐くろしお鉄道の宿毛駅事故で廃車になった2両を除く、78両が健在です。

あまり中身についてツラツラと書くとネタバレと怒られそうだとか、著作権舐めんななどと怒られそうというか、いろいろありますので、印象と気になったところだけ、簡単に備忘録がてら書いておくことにします。

まず、2000系開発の背景として、

制御つき自然振子機構の技術自体は国鉄末期にすでに開発されていた
四国での高速道路の整備が、JR四国発足以降、急速に進むことが見込まれていた

(実際、その通りになりました)

ことが、ポイントになったとされています。

他方で、気動車に(より正確にいえば、「動力台車に」)振子機構を組み込むに際しては、最初は手探り状態・・・(国鉄時代のキハ391系も振子車両と言えば振子車両ですが、中間の動力台車については通常構造で、客室の下の台車のみが自然振子式)。

・・・ということで、国鉄時代に揉まれた技術者を集め、JR総研の支援も得ながら、世界初の制御つき自然振子気動車を“カタチ”にしていく描写は、圧巻の一言につきました。
また、2000系というと、どうしても「車両」に焦点が当てられがちな中で、「軌道」にも焦点が当てられていたところは、興味深いところでした。
いくら車両が優秀でも、それが走る軌道が脆弱であれば、確かに意味はありません(フェラーリが農道を走ろうとしても、宝の持ち腐れもいいところではないか、性能発揮できないではないか・・・と言われれば、そらそうだ罠・・・)。

なお、恥ずかしながら私自身知らなかったこととして、

TSEの座席はアルミ製
(量産車は鉄製)

ということがありまして、どおりで、TSEと量産車では座席の造りも印象も違うわけだよ・・・と、今さらながらに納得させられました。
グラム単位の軽量化への執念が、TSEの成功の一因だったのですね・・・(事実、量産車よりもTSEの方が軽量なのだそうです)。

また、2000系には、ソウルフルなサウンド(?)で、知る人ぞ知る、コマツ製のSA6D-125Hが機関として搭載されていますが、2000系が(少なくとも)日本の気動車としては、はじめてコマツ製の機関を搭載した(国鉄時代には搭載例がなかった)・・・というのも、現在の気動車におけるコマツ製機関の隆盛(国鉄形への換装車も含めて・・・)を思うならば、意外でした。

2000系については、本の性格上、TSE開発時の話が大部を占め、量産車についてはさらりと流されているのですが、書名の割には意外だったのが、

8000系電車の開発秘話


についても、かなりのスペースが割かれていたことでした。

台車や(量産先行車のみに装備された)レールブレーキ等、狭軌新幹線(いわゆる「スーパー特急」)のために開発されていた技術が利用されていたこと自体は知っていましたが、振子角を7度にする計画があった・・・というのは、恥ずかしながら知りませんでした。
いやはや、“にわか”の悲しき性と言えばそれまでですが、知らないことなどというのはいくらでもあるものです・・・

また、もう一つ読みごたえがあったのは、「アンパンマン列車」の導入秘話です。
平成10年の土讃線長期不通をきっかけとして、土讃線へのテコ入れ策として導入され、その後、好評裡のうちに四国全土に広まった・・・という程度のことは私でも把握していたのですが、

「鉄道を知らない子供たち」をなくそう

・・・という、長期的・戦略的な意図まであったとは、これまた知りませんでした
(お子様を惹きつけることで、引率する親や祖父母から収入を得ようというモデルだとばかり思っていた・・・。まあ、そういう側面もあるのでしょうが・・・)。

確かに、四国のような地方・クルマ社会では、下手をしたらJRの存在さえ知らない子供たちがたくさんいる・・・というのはその通りで、存在さえ知られていないのであれば、選択されることもありませんからね。

鉄道(JR四国)の存在を子供たちに知らしめるという点では、たしかに、アンパンマン列車の果たしてきた役割は、あまりに大きすぎるのでしょう。
本にもありましたが、やがてはアンパンマン列車で鉄道の存在を知った子供たちが親になり、自分の子をアンパンマン列車に乗せるために鉄道に戻る・・・という場面も、大いにあり得るのでしょうね・・・。




・・・ということで、全体としては“よくやってくれた”、“読み応えもある”のですが、ところどころ事実誤認や誤植と思われるようなところも。
そのあたりの“間違い探し”は、たぶん某巨大掲示板あたりにいったら、ヒマな熱心な人たちがやっているのでしょうが、私も気になったところを少しだけ。

14ページに、「キハ181系とキハ185系の比較」という表があります
編成表で、「キロ180」が「キハ180」と書かれているのは問題外としても(定員48名の「キハ180」って何?。あと、下の表が「5両編成」といいつつ、同じページの上に挙げられている編成表が「6両編成」なのも、どうなのでしょう・・・。国鉄末期~JR初期において、キハ181系は6両編成が基本、キハ185系は5両編成が基本という歴史的経緯があったことは確かですが・・・)、編成図の下の表が、どうしようもなく“デタラメ”なのです。

その表は、キハ181系とキハ185系について、5両編成としたときの「定員/編成出力/自重/重量当たり出力」を整理したものですが、キハ185系の編成出力が「2750馬力」と書かれています。
しかし、想定されている編成がキロハ186組み込みの5両編成であれば、編成出力は「2250馬力」でなければ、間違いとなります(キロハ186形の走行機関は、250馬力機関1台のため)。

そうであるならば、「重量当たり出力」の数字も、当然違ってきます。
キハ185形4両(0番台2両+1000番台2両)+キロハ186形1両の編成において、この本の14ページの自重の数字が正しければ、編成重量は表にある通り、188.3トンです。

そうであれば、キハ185系5両編成の重量当たり出力は、

11.9PS/t

・・・となります。

これは、キハ181系5両編成の「11.6PS/t」という数字と、大差のないものです

事実、キハ185系は、キハ181系と同程度の性能を(変速機等の足回りに廃車発生品をかき集める等の方法により、より安価に)実現することを主眼とした系列であり、その後のJR世代の気動車と比較すれば、決して“高性能気動車”であるとはいえません
重量当たり出力がキハ181系と大差ないというのは、製造コンセプトからしても当然の結果なのです
(むしろ、キハ185系は(キロハ186形を除き)発電用機関を備えない、いわゆる直結式の空調装置を装備するため、走行機関の出力の一定部分は、空調装置や補助電源等にとられることになります。つまり、1台当たり250馬力の出力のすべてを走行用に振り向けることはできないのです・・・)。

・・・と、文系脳の腐れ中年でさえわかることですので、これは著者(あるいは、校正者)が気付かないとダメだろ・・・とは、思いました
(著者の福原氏は車両史の専門家として、多数の著書もあれば、鉄道誌に数多く寄稿されているのですから、なおのこと・・・)。


ついでなので、2000系の5両編成ならどうなるのか・・・ということで、先日私も乗ってきた、予讃線特急「しおかぜ」号の2000系5両編成でどんな数字になるのか、無駄に計算してみました(2000系量産車の諸元については、『振子気動車に懸けた男たち』105ページの「主要諸元表」によります。また、定員の違いについてはスルーしてあります・・・)。

編成:2000(Mc1)+2200(M)+2100(Mc2)+2200(M)+2100(Mc2)
編成重量:192.7トン(2000形 39.7トン、2100形 39.5トン、2200形 37.0トン)
編成出力:3300馬力(660馬力×5)
重量当たり出力:17.1PS/t

・・・ということで、振子機構の有無にかかわらず、重量当たり出力が11PS/t台のキハ181系やキハ185系と比べると、2000系がいかに“性能面で一線を画した”存在であるかが、一目瞭然です
(私自身、土讃線や予讃線八幡浜以南の急勾配区間でのぶっ飛んだ走りに、最初は衝撃を受けたものでした・・・。上り25‰勾配均衡速度95km/hは伊達じゃねぇ・・・。もっとも、今となってはJR世代の特急形気動車の中でも最古参ということもあって、見劣りするところもありますけどね・・・)。




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もっとも、たとえ基本的な誤りがあるとしても、また、粗さがしというか難癖をつけようと思えばつけられるとしても、それでも、

2000系に焦点を当てた“読み物”と“記録”をまとめてくれてありがとう・・・

という思いに、いささかの変わりもありません。

普段は(特に新書や文庫の類の場合)少々待って古本で買ってくることも少なくないプアですが、そんな私でも、この本はさっさと買わなければ(使命感)と、あえて地元に戻る途中の岡山市内某所で調達したくらいでしたからね。

最初の方は、2000系での歴史を間もなく終えようとしている「しおかぜ21号」の車内で読んでいました(残りは帰ってから実家で読みました・・・)が、

揺れて(振子的な意味で)傾く、床下からは豪快な走行機関のサウンドが響く、2000系の車内で読む「2000系開発秘話」は、やはり、感慨深いものでした・・・。
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No title

こんばんは。

(2000系の8両「しおかぜ」、3月22日の22号と21号で走るそうですから、撮り鉄・乗り鉄の方々でさぞいっぱいのことでしょう)

私の場合、小6で「しおかぜ」の今治→松山を運転開始から間もない頃に特定特急料金で乗ったのが2000系の性能初体験で、その速度と電光掲示板「ただいまの速度◯◯km/h」にしびれ、以後、高速バス「マドンナエクスプレス」が走り始める前まで京阪神に行くのに使っていました。
神戸での大学生時代は日中の移動即ち8000系(+100系G編成「ひかり」)利用だったりスカイメイト利用だったり、2003年にはすでに松山-大阪の高速バス定着期だったりで、なかなか2000系を利用する機会がなく、2007年に「ヤングウィークエンドカード Yきっぷ」の存在を知って、30になる直前まで何度か宇和島へ往復、一番最近が14年12月といったところです。

「ムーンライト松山」という列車があって私も何度か乗ったことを、書かれていて初めて思い出しました。
、「ムーンライト松山」のフリーストップリクライニングシート換装車(禁煙車はクソボロシートだったので仕方なく喫煙車指定)に乗ったのが上下合わせて4~5回,このほか1回、土讃線が不通のためにカーペット車が松山行に充てられたときに通常運賃とグリーン料金で乗ってます。

私も2000系の唸りが好きな部類でしてYoutubeから個人が撮影・収録した2000系「宇和海」「いしづち」の前面展望動画をときどきWMPで再生して部屋のBGM代わりにしたりしています(爆)

ツイッターでリツイートされて流れてきた情報が以下、https://twitter.com/saremia 2月29日投稿分ですが、このイラストを出して実際に走っていたことはなかったような…??
また、直近の車両動向では、2000系情報ブログ(http://1010d.blogspot.jp/) によると、「宇和海」指定席が3号車に変更されるにあたって、松山の2100と一部指定席表示板取り付け済みの2100高知車とが差し替えられたそうです。
(昨日乗車記を書かれた21号にも、すでにアンパンマン車の代車として入っていますI)

2000系が出るまでは子供ゆえに185系が新型と思っていましたが、最高で110km/hしか出ないうえに洗面台は必ず片手を使わないと水も湯も出ないなど、性能が別物が出てから冷静に見ると、どう考えてもただの中古車ですね。(笑)

本の情報ありがとう!

そんな本が出たのですか?
リアル書店にここ数年出かけていないので知りませんでした。
ネットでもこの系統の書籍は購入しないので「オススメ」されないので気が付きませんでした。
さっそく注文します!と思ったら「欠品」してやがりました(楽天ブックス)。個人的にamaでは注文したくないので入荷待ちます。
そういえば試作車の「南風51号」「しまんと51号」とか停車駅がとんでもないことになっていましたね。
水曜日運休はもちろんのこと途中停車駅ってたしか1つ(阿波池田でしたっけ?)しかなくて今の「快速」状態と比較すると笑えてしまいます。

2000系の思い出

KAZさん、コメントありがとうございます。

さて、コメントを拝見していて、ああそういえば・・・と思いだしたのが、確かに2000系の登場当初は、電光掲示板に速度が表示されていたことです。登場直後に乗車していた時には、「11xkm/h」という表示を見ては、なんで「120km/h」が出ないんだよ・・・と、ガッカリしていたものでした。
そういえば、いつの間にやら速度は表示されなくなっていましたが、8000系の登場前後からでしょうか・・・。

また、最近になって、平成28年度限りでの終了が発表されましたが、「ヤングウィークエンドカード」・・・確かにありますね。
結局私は使えずじまいでしたが、「鉄道にどうにか若者を呼び戻そう」という心意気は感じられるカードでした。ある意味、「アンパンマン列車」で、「鉄道を知らない子供たち」を減らそうとする法人と、根本は通じているのかもしれません。

「ムーンライト松山」号、私は本当にお世話になりました。ただし、普通車は(5号車禁煙車の簡易リクライニングシートはもちろんのこと)、4号車喫煙車、発電エンジン付きで別名キハフ15形のフリーストップリクライニングシートでもシートピッチ狭すぎ、リクライニング角度なさすぎのため、もっぱら6号車オロ12形の住人であり続けました。
独立シートの高速バスの座席どころか、下手をしたら(しなくとも?)8000系グリーン車(リニューアル車)のダメシートなど足元にも及ばない重厚でシートピッチが無駄に広い座席に、(普通列車グリーン料金しか払わないので)新幹線+しおかぜの普通車よりも若干とはいえ安価に乗車できる・・・ということ、しかも京都駅始発ということで、二重の意味で重宝していました(なお、若いころは18きっぷを使う発想は希薄でした・・・)。
オロ12形は若桜鉄道に譲渡されましたので、いつかは会いに行きたいのですが、なかなか・・・。

また、「~松山」に、カーペット車や14系200番台(シュプール&リゾート仕様車)が入っていたのは、まさに土讃線が長期不通となっていた平成10年秋のことでした。そのときには、最初で最後の、「~松山」でのカーペット車に乗車しました(「~高知」では、二度、カーペット車に乗車しているのですが・・・)。

それから、2000系量産車が、旧「しおかぜ」号のヘッドマーク(みかんの木が描かれたアレ)を掲出して走行したことは、確かにあります。
量産車が大々的に投入されたのは平成2年11月改正ですが、改正に先立って竣工した車両は、キハ185系やキハ181系のダイヤで走っていました。事実、土讃線でキハ185系のダイヤで流し流し走っている量産車に、平成2年の夏休み、当時存在した「四国島内フリーパス」で乗車しています(余談ながら、TSE充当の「しまんと51号」に乗車したのも、そのときです)。
ちなみに、その頃の2000系のヘッドマーク幕(のうちの1枚)は、現在も西条市の「四国鉄道文化館」の北館で展示されていますので、訪れる機会があったら是非眺めてみてください。

また、3号車の2100形の差し替えについてですが、先日帰省がてら乗車した「しおかぜ21号」の3号車が、まさに差し替えられたパターンでした。もと高知所の2117号が松山に転属したうえで充当されていました。
現状では3号車は全車自由席なので半室指定席表示板は空白ですが、3月26日以降は、「宇和海」号でフル活用されるのでしょうね・・・。

なお、キハ185系の名誉(?)のために補足しておくと、お古なのは走行機器の一部(具体的には変速機や運転台機器の一部)だけで、車体・機関・台車・座席・・・等々、大半は新品です(笑)。回転クロスシートが当たり前のように残存していたキハ181系の天下に、フリーストップリクライニングシートを搭載して、圧倒的な前面展望をもって殴り込んできたキハ185系に、登場時には衝撃を受けたものです。
もっとも、今年でキハ185系も30周年。気が付けば大ベテランの域に達しつつあります。

余談ながら、キハ185系の登場当時小学生だった私は、「曲線走行性能が向上」というニュースを聞いて、「何、ついに振子車両の時代なのか?」と、勝手なことを思っていたものです(実際には、ボルスタレス台車の導入等により、いわゆる「本則」よりも少しだけ曲線通過速度が上がっただけなのですが・・・)。

是非読んでみてください

暇人寮監さん、コメントありがとうございます。

私がこの本の存在を知ったのは、実は某巨大掲示板のJR四国スレッドをつらつらと眺めていたときだったりもします
(落書きや荒らしが目立つ中で、時々こんな有益な情報も流れてくるのが、面白いところです。なお、私も、リアル書店に行くことはあまりありません。大学生協の書籍部は、リアル書店と言えばリアル書店ですが、ウチの大学の場合、品ぞろえが寒々しすぎて、事実上は「honya clubでネット注文した本を取りに行く場所」と化していたりもします・・・)。

楽天ブックスでは残念なことになっているようですし、Amazon依存も行き過ぎるとどうなのか・・・ということはありますが、何せ全国的な需要はそれほどでもない(一部の2000系フリークだけ、大歓喜状態)ので、ネット書店によっては普通に在庫がありますので、いくつか当たってみてはどうでしょうか。
事実誤認や粗もあるにはありますが、全体としては、「2000系に関心がある人にとっては名著」となるかと思います。

また、試作車(量産先行車)は、登場後1年半ほど、土讃線を季節列車として行き来していました。
停車駅がとんでもないことになっていたのは「南風51号/52号」でして、まさかの「阿波池田1駅のみ停車」という、時刻表上で通過マークが延々と続く、今では考えられない列車でした(当時、JR西日本との乗務員交代駅として指定されていた児島駅も多度津駅(児島駅通過列車の場合)も通過・・・どこで乗務員交代していたのやら(運転停車でしょうが・・・))。

全車指定席ということもあって(=四国島内フリーパスでは、指定席特急料金を追加で払わないと乗車できない)、結局、「南風51/52号」については、私自身、乗車経験はないままにおわりました。

他方で、「しまんと51/52号」は、当時の月並みの特急停車駅に停まっていました。ちょうど今は実家滞在中なので、書庫から平成2年5月の時刻表を引っ張り出してみましたところ、

(高松)、坂出、丸亀、多度津、琴平、阿波池田、土佐山田、(高知)

と、当時の他の「しまんと」号と比べても、(善通寺と後免は通過していますが、それ以外は)特にひねりのない停車駅となっていました。
2, 3号車(2201号、2101号)は自由席の設定でしたので、「四国島内フリーパス」でも、追加料金なしで乗車できたものです。
また、当時の2101号には車端にソファが設置されていまして、クソガキの分際で、偉そうにソファでふんぞり返っていたのも、思い出です・・・(現在では、ソファの合った部分には、量産車と同仕様の座席が設置されています)。

確保!

こんばんは。
昨日から今日にかけて楽天ブックスのサイトを時々見ていたら(もちろん業務中でございますがたぶん問題なし)19時すぎに在庫復活(3冊)となっていたので早速ポチりました。難なく確保できて歓喜しています。日曜日に到着予定なので楽しみです。情報ありがとうございました。
通過駅多数は「南風」の方だけでしたか、「しまんと」はそんなことなかったのか~後免通過なので当時の自分には使いようがないのは変わらないですが。「南風」は全車指定席でしたね、懐かしいです。試作車のソファーはJR四国の車両紹介書籍に掲載されていて見たことがありますが量産車では通常座席になるのもしょうがない気がします。まさか南風全車指定席でそれも指定席として販売してないと思いますが、身近な名鉄ではいまは無き「8800系」にソファー座席やら「窓無」席(飛行機でもあります)やらあり料金取るくせに満席だと割り振りしやがります。何回か当たりましたので…。窓際指定で窓無ってどうよ…飛行機の座席表では「窓際窓無」が注意事項としてHP上で表示されていますが、機材変更を喰って宮古―石垣の短時間で割り振りされたことがありましたけど最悪でした。
そういえば2000系の速度表示ですが加速してアイドル状態になると出ていました。あれ制限速度超過してもお構いなしだったので大杉~土佐北川のトンネル区間で良く120キロオーバーの数字が表示されていました。たしかJR西の207系事故以降見かける頻度が減った気がしますがどうでしょう?確証ありませんが。
地元名鉄では今でも速度表示が1000系2000系などの特急車だけでなく3500系の一般車でもJR四2000系と違い普通のデジタルスピードメーターが出ていますが、初期のころから120キロになるとそれ以上速くなりません。一宮北部のJR併走区間でJRにケンカ売って明らかに加速しているのに120キロとかおかしいだろう、と当時は思っていました。向こうも喰らいついていたのでどっちもどっちだけど。

めでたい

暇人寮監さん、コメントありがとうございます。
楽天ブックスで確保できたようで、何よりでした。
後は、届くのを待つだけですね。

さて、TSE登場時の2101号に存在した“ソファ”。どうしてジョイフルトレインならぬ、(試作車とはいえ)通常の特急形気動車にそんな設備があったのか・・・については、本の中に種明かしがありますので、ここで私がネタばらしをしない方がよさそうです。ちなみに、ソファだけではなく、モニター(平成元年当時なので、当然ブラウン管)も設置されていました。
また、ソファですが、きちんと座席番号のプレートは掲出されていましたので、指定席として販売されたこともあったと思います(一応、リクライニングシートが売れてからの発券ではあったのでしょうが・・・)。

「JR四国の車両紹介書籍」・・・まさか、保育社がかつて刊行していたシリーズ「JRの車両」の『JR四国』でしょうか・・・。だとしたら、未だにウチの実家の本棚にも眠っていたりもします。
この本、平成初頭のJR四国の車両状況を今に伝えてくれていますが、キハ181系はもちろんのこと、急行形気動車、111系電車、国鉄世代の一般型気動車(キハ40系、キハ32、キハ54を除く)、50系客車、ジョイフルトレイン・・・と、鉄路から永遠に消えた車両たちの姿が大量に掲載されており、月日の流れの無常さを痛感するとともに、「そら年とるわけだわ」と、謎の感慨にふけることにもなります・・・。

また、名鉄8800系・・・。ある意味で「バブルの象徴」だったのかもしれません。ソファシートも確かにありましたね(私自身は乗ったことがない癖に、父親が昔買ってきてくれた絵はがきが、未だに実家の机の引き出しの中にあります・・・)。
私自身は乗車経験が無いので、中身までは実感をもってあれこれ言うことはできないのですが、展望室を設けた展望を売りにする車両で、窓なし席があるというのは、確かにどうなのだろうと思いました・・・。

名鉄の特急車としては、2000系と1000系に、それぞれ1度ずつ乗ったことがあるだけですが、1000系に乗ったときに、パノラマSuperをイメージした車両がLED表示器をちょこちょこ動きながら速度を表示するというギミックは、確かに見ていて楽しいものでした。120km/h以上を表示しないのは、かつて運輸省の中の人が乗っていたときに、制限速度を超える速度を表示して大目玉を食らったから・・・という“俗説”もありますが、ホントなのでしょうかね・・・。

185系,2000系

ただいまの速度表示は8000系が出て高速運転が当たり前になってからほどなく取りやめられたように思います。(やめて文字CM枠を増やすほうが増収にもなるという判断もあったのかもしれません)
2000系量産車の慣らし運転は、時刻表やRJ誌で土讃線では夏からやっていたのは知っていたのですが、予讃線でもやっていたとは知らなかったもので。。(件のTwitterに三津浜駅で客扱いをしている写真があります)

親の転勤で宇和島に住んでいた86.04~90.03は、座席がリクライニングさえしなかった181系の特急を避けて急行の指定席を選び、185系が出てからは前面展望できるというのでやはり避けていたのを今思い出しました(爆)前も書きましたが、朝の早くから宇和島駅の改札前で一番乗りをして改札が開くのを待っていたり。。
http://cocoa.2ch.net/test/read.cgi/rail/1037186793/ 13年前の2chの過去スレ(185・54・32)ですが、罵倒などもなく非常に読みやすいですのでぜひご一読をどうぞ。

「振子気動車に懸けた男たち」を読んで

私は生まれてからずっと高徳線沿線に住んでいて、通学でたまにうずしおを使ったりします。なので、あの2000系・N2000系のサウンドはとても好きです。なので、twitterでこの本が発売されたことを知り、日曜に買ってきました。2日ほどで読み終えましたが、2000系と8000系の歴史を知ることができ、本当によかったです。TSEにソファ席があったというのは聞いたことはあったのですが、写真を見たのは初めてです。私がTSEを初めて見たのはうずしおの充当時でしたが、最寄駅を通過するのを見て圧倒された記憶がかすかに残っています。まだ私が小さい頃でしたが、流線型でかっこいいな〜と思っていました。予讃線伊予西条〜松山間からは撤退しますが、N2000系の勢力もありますので、まだ20年くらいは活躍してくれるのでは?と思っていますが、末長く活躍してくれることを期待しています。いつまでもJR四国の顔でいてほしいですね。

Re: 185系,2000系

KAZさん、コメントありがとうございました。
2000系の車内電光掲示板での速度表示がなくなったのは、ご指摘の通り8000系の登場後ほどなくだったと、私としても記憶しています。
他方で、瀬戸大橋を通過する際に、2000系では電光掲示板の案内に加えて自動放送で案内が流れるのに対して、8000系では流れません(8000系でも、電光掲示板では案内が流れていますが・・・)。
8000系に何が何でも揃えているというわけでもなさそうで、基準がよくわかりませんね(さて、8600系ではどうなることやら・・・)。

また、予讃線における、平成2年11月改正前の2000系量産車の投入ですが、土讃線のような比較的長期的・計画的なものではなく、在来型気動車のダイヤで代走していた期間自体はかなり短かったと、ぼんやりと記憶しています。
むしろ、それまで2000系の走行実績のなかった予讃線のことですので、制御つき自然振子の動作確認を兼ねて、真昼間に試運転列車が走っていたことの方が、個人的には印象に残っています。事実、お子様の分際で、学校が休みの日にはカメラ片手に撮りに行っていましたし・・・。

また、キハ181系も、JR四国になってから瀬戸大橋線が開業するまでの1年ほどで、JR四国色への塗装変更と、フリーストップリクライニングシートへの換装が急速に進められましたが、国鉄末期~JR四国初期には、登場時の回転クロスシートで、キハ185系との間に露骨な格差があったものです。そういえば、JR時代の初期には、一部のキハ58系に、キハ181系から移植された回転クロスシートが設置されており、密かな乗りドク車両になっていたこともありました。
もっとも、国鉄末期~JR初期の“究極の乗りドク車両”が、キロ28形を格下げ改造(ただし、座席はそのまま)した、キハ28形5200番台車であったというのは、私も同感です。主に、急行列車の指定席車として使われていましたが、間合いで普通列車に入っていたことも多々ありまして、「運賃だけでこんなハイグレード車に乗っていいのかよ?」と、子供ながらに思っていました(平成2年夏に、「四国島内フリーパス」で乗った時には、急行料金+指定席料金をあえて別払いして急行列車で堪能するとともに、伊予長浜まわりの始発普通列車(当時の急行「うわじま2号」への送り込み列車)で、料金抜きで堪能したものです)。

某巨大掲示板、たしかに、初期は“まとも”でしたね。
現状の荒らしと落書きの羅列からすると、信じられない話でもありますが・・・。

Re: 「振子気動車に懸けた男たち」を読んで

sanukitrainさん、コメントありがとうございます。
『振子気動車に懸けた男たち』を読まれたようで、何よりでした。

sanukitrainさんのように、TSEの登場時にはまだ生まれていなかった、国鉄を知らない若い世代が鉄道趣味に励んでいるところに、私などは否応もなく時の流れを痛感せずにはいられません・・・(苦笑)。

もっとも、世代を越えて、走りとサウンドという面で魅了させる2000系の偉大さを、改めて感じるきっかけになるとも、いえるのかもしれませんが・・・。

また、今ではすっかり「予讃線のヌシ」と化しているTSEですが、確かに、高徳線を行き来していた時代もありました(ちょうど、前世紀から今世紀へと移り変わるあたりの時期でしたか・・・)。
その頃には量産化改造を終えていて、2001号の連結器カバーも撤去されていれば、2101号のソファシートの後には量産車と同様の座席が設置され、モニターは撤去され、2101号の貫通扉は“開かずの扉”になっていたかと思います。
そんなTSE編成の登場時の姿と、登場の背景について、書籍を通じて知っていただいたのであれば、これまでとはまた違った見方を、TSEに対してされるようになるのかもしれませんね。

長きにわたり、8000系に混じって活躍してきた2000系も、予讃線電化区間からは、まもなくほぼ撤退することになります。
「電車と気動車が同一愛称名を名乗る」という事例もまた、四国からはなくなります(もっとも、他には「はしだて・まいづる」号と、(平日の)「びわこエクスプレス」号にしかそんな事例はないのですが・・・)。

時折乗車する初期量産車(平成2年から3年にかけて製造されたグループ)は、ところどころにガタがきており、ひどいときにはとんでもない振動を発しながら走っていることもあります。
内装をリニューアルしたり、機関を換装したりと、何とか延命させようとはしているようですが、走行距離のかさむ、しかも、メンテナンスに手間のかかる振子車両ということもあり、(後継車=2600系気動車(?)の導入ペースにもよりますが)長くともあと5年10年というところではないでしょうか。
初期量産車と比べると車齢の浅いN2000系も、何だかんだ言っても今年で車齢18年。初期量産車よりは長生きするでしょうが、それでも、それほど先が長いとも思えません。結局は、次世代の特急形気動車の投入ペース次第なのですが・・・(JR四国の現状からすると、「一挙に置き換える」ことができないことだけは、間違いありませんが・・・)。

私自身、キハ181系やキハ185系の天下に敢然と登場したTSEに受けた衝撃は、四半世紀以上を経た今もなお、色あせるものではありません。流線型の2001号には「次世代」の香りを強く感じたものです。
また、量産車では警戒色として、先頭部には黄色帯が入りましたが、その写真を最初に見たときに「ダセェ」と(お子様のくせに)切って捨てたことも、今では思い出です(N2000系に黄色帯が引き継がれなかったのは、何よりだったと思っています。他方で、黄色帯が「警戒色」の役割をこれ以上なく果たしているという見方も、成り立つのですが・・・)。

ともあれ、「いつまでもJR四国の顔でいてほしい」・・・ほんとうに、そのとおりですね。
たとえ、いつか全車が引退して、過去帳入りするときが来ても、それでも、JR四国の歴史において2000系が果たしてきた役割が色あせることは、決してないことでしょう。

平成元年の本

まちがいなくその本です。実家の本棚を探して奥から見つけ出しました。鉄道本を大量に購入していた時代に住んでいた家から引っ越しし、当時定期購入していた雑誌類(鉄道ファン・鉄道模型趣味・鉄道ジャーナル)はほぼ処分したのでもしかしたら一緒に処分したかも?と半ばあきらめ気味でしたが良く残っていました。見返すと2000系は試作車のみで量産車もなく当然7000・8000系も記載ありません。奥付を確認したら「平成元年」。高校生のころだから(年がバレますな)こりゃ懐かしすぎますよ。181系の写真を見るとキハ180先頭車改造とかキロハもめずらしいキハの改造っぽい。50系客車やらキハ45やら懐かしすぎでしばらく見入ってしまいました。2000系とJR東海キハ85がほぼ同世代であったこともこの本で改めて知りましたがキハ85は動きを聞かないのも振子式でないから持ちが良いのでしょうか。
名鉄の速度計と運輸省関連の話、よく聞きますね。7000系パノラマカーでのあくまでうわさ?今の時代なら即SNSにアップされ叩かれる要素になりますし現状速度表示があるだけマシと思います。JR東海は遊びの要素ないですから。

やはり・・・

暇人寮監さん、こめんとありがとうございます。
やはり、JR四国の車両を扱った本とは、「JRの車両」シリーズの『JR四国』でしたか・・・。
実は、私がこのシリーズの『JR四国』だけ所有しているのは、松山市の中央図書館にかつてずらりと並んでいた、同じく保育社の「国鉄の車両」シリーズを何度も借りて読んでいたお子様として、存在を知っていたからだったりもします。まあ、経緯はどうでもいいのですが・・・。
当時は(四国以外のものを取り上げている巻も含めて)積極的にそろえるなどできる相談ではなかったものですが、まとまって安価に古本で出ているものでも発見したら、「国鉄の車両」シリーズにしても、「JRの車両」シリーズにしても、無駄に大人買いしたい・・・(笑)。

さて、件の『JR四国』、私も久々に実家の本棚から引っ張り出して通読しましたが、ある意味で「タイムカプセル」状態ですね。
有名どころの国鉄形気動車が懐かしすぎるのも感涙ものですが(同書に掲載されているキロハ180型の写真は、側面が大窓ですので、キハ180形から格上げ改造されたキロ180形200番台車からさらに改造された、キロハ180-7です(他に、-8も同仕様だったはず))、キハ58系改造の「レインボー」だとか「旅立ち」の存在を知っている人、今となってはどれくらいいることやら・・・
(なお、私自身は「レインボー」は乗車できずじまい、「旅立ち」は、一般車に改造後に、土讃線で一度乗車したことがあっただけです・・・。JRになってから「修学旅行用」と銘打つ車両を改造するとは、なかなかゆかいなことをやっていたものですね・・・)。

余談ついでに、鉄道趣味雑誌としては、長らく『鉄道ファン』に絞って買い続けています(稀に『~ジャーナル』が交じります)。気が付けば四半世紀以上の分が欠けることなく積み上がっており、そろそろ実家の自室の押し入れがエラいことになりつつあるのですが、処分するのも気が引けますね・・・。
スキャンして自炊・・・すれば押し入れはすっきりしますが、積み上がっている“山”を眺めると、何ともかんとも・・・
(なお、こういうときには、“低収入独身貧民”でよかった・・・と、切に思います。世の中には、趣味のコレクションを嫁に勝手に捨てられる悲哀あふれる男もいるらしいですからね・・・(苦笑))。

また、キハ85系と2000系TSEは、ともに平成元年のデビューですので、同世代といえば同世代です。
ただし、営業運転の開始時期が、キハ85系の方が1か月早い(キハ85系が「ひだ」に最初に投入されたのが平成元年2月、TSEの営業運転への投入が平成元年3月)ため、「JR最初の特急形気動車」の称号は、キハ85系にもっていかれました。
まあ、振子機構こそありませんが、キハ85系もまた、軽量化と強馬力化、さらにはアコモデーションの飛躍的改善という点では、エポックメーキングな車両であったことは、否定できません(キロハ84形のロザがしょぼいことは別として・・・)。
キハ85系の後継車の話は、確かに今のところ聞きませんが、東海のことなので、置き換えるとなったら一挙に置き換えるのでしょうね・・・。経年を考えると(2000系ほどには酷使されていないとしても)、あと5年10年というところではないでしょうか・・・(延命工事をしているという話も聞きませんし・・・)。

名鉄と運輸省の中の人・・・私にも真偽はわかりません。
名鉄に疎い私でも知っているくらいですから、俗説としては相当に広まっていることだけは、間違いなさそうですが・・・(笑)。

ダクトは我慢

このシリーズで所持しているのはこの1冊のみ。価格も顧みずに購入するとは当時の自分をほめたい。さすがに今から大人買いで揃えるのは難しそうです。思えば小学生のころの愛読書「機関車トーマス」シリーズは社会人になってから揃えたり、JTBの「廃線跡」シリーズも購入したりと社会人になってから書籍購入に歯止めが無くなった気がします。

諸般の事情で実家を取り壊し新居に移動する際、定期購読していた雑誌はほとんど処分しました。その理由が収納していた押入れの床面が書籍の重量に耐えきれず傾いたこと。ボールが転がるのを実際に見て驚き新居に収納場所があるにも関わらずあっさりあきらめました。際限なく増えるし、切り時だったと自分で納得しています。

出納帳を見ていたら最後の鉄道系書籍購入が「旅と鉄道」の最終巻。「狼と香辛料」の最終巻(ただしラノベです)が小説の最終。書籍を買わなくなったのを改めて認識させられました。

本書読破しました。これから2000系に乗車する際、窓際のダクトを邪魔者扱いしないように気を付けます(笑)久しぶりの鉄道書はちゃんと本棚の新書棚に納めました。
購入できて本当に良かった。

ダクト

暇人寮監さん、コメントありがとうございます。

『振子気動車に懸けた男たち』を読破されたようで、何よりでした。
空調機器を床下に搭載する(381系や8000系のように全面的に床下にするか、他系列のようにセパレートタイプにするかは分かれていますが・・・)振子車両において、ダクトは切っても切り離せない関係にありますね。
確かに、窓の下のダクトはどうなのだろうと思いますが、他方で、床から天井に伸びるダクトについては、2000系ではほぼ意識する必要がありません。そのあたりは、やはりJR世代の車両なのでしょうね・・・(381系とは大違いです)。


また、電子書籍のせいなのか、書籍と向き合う時間が十分に取れないほど現代人は多忙なのか、出版業界冬の時代といわれて久しいですが、暇人寮監さんのように、「書籍を買わなくなった」という方が多い世の中という印象を受けます。
私の場合は、ヘボ講師とはいえ大学や専門学校の教壇に立っている端くれですので、一般の方よりは明らかに書籍を購入している量も、読んでいる量も多いとは思いますが(業界水準(?)から見たら、少なすぎて涙目ではありますが・・・)、それでも、趣味の書籍に昔ほどの費用も手間もかけられなくなってきていることは、実感させられています(大学図書館には、趣味の書籍というのはほぼ入らないので、借りて読むという手も使いにくい・・・)。

「JRの車両」にしても、「国鉄の車両」にしても、巻数が巻数なので、1冊あたりでは3ケタ円でも、全部大人買いしようとすると案外厄介なのではないか・・・と、ネット古書サイトをいくつかつらつらと眺めながら、思いました。

「書籍を収納していた押入れの床面が傾いている」・・・しょぼい本棚が埋まり、本棚の周囲に段ボール箱が積み上がる私の状況(実家も出先も)を振り返ると、全く他人事に思えません・・・。地震が来たらどうなるんだろう?
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キモプアの紙

Author:キモプアの紙
キモメン兼デヴ兼クソヲタ兼フニーターで当然の帰結として“プア”・・・。略して“キモプア”。
その中でも(まあ、ほかに“キモプア”を自称する物好きもいないでしょうが・・・)選ばれし“逆”エリートゆえに“紙”(ペーパー的な意味で・・・orz)。

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