梅小路蒸気機関車館探訪記(その⑥)

「その⑤」のつづきです・・・

ところで、梅小路蒸気機関車館には、変わり種の休憩スペースがありました
(ベンチにテーブルの休憩スペースもあるにはあるのですが、それを補完するものとして・・・)。

DSC_1033_R.jpg
オハフ50形68号車。

DSC_0966_R.jpg
「客車休憩所」のサボがいい味を出しています・・・。

国鉄末期に大量に製造され、全国各地で活躍したにもかかわらず、国鉄末期からJR初期にかけてのフリークエンシー重視の流れに巻き込まれ、短命に終わった“レッドトレイン”の一員です。

オールドなファンの方々にしてみれば、

旧型客車を駆逐した憎いヤツ

となるでしょうし、若い世代にすれば

なんじゃこりゃ

と、なるのでしょう。

ところが、私くらいの世代(国鉄末期からJR初期にかけてお子様だった世代)にしてみれば

客車列車=レッドトレイン

でして、実際、国鉄末期からJR初期にかけては、四国でも各線で、DE10に牽引された50系客車列車がゴロゴロ走っていたものです。
私自身、何度かお世話になったことがあります。

このオハ50、外観のオリジナルぶりも驚嘆に値するのですが・・・中はもっとスゴいんです(笑)
論より証拠。

DSC_0983_R.jpg
セミクロスシート。

DSC_0986_R.jpg
中央部はボックスシート、端はロングシートです。

オリジナルの姿がここまで残されていると、ある意味感動ものですよ。

DSC_0979_R.jpg
帽子掛けと座席番号のプレート。
基本的には普通列車用でしたが、多客臨として急行列車に入ったこともあったとか・・・。
ボックスシートならばまだしも、ロングシートを指定されて急行料金+指定席料金を取られた暁には・・・“遜色急行”だとか“詐欺急行”と言いたくもなったのでしょうね・・・。

DSC_0991_R.jpg
車体も赤ならば、モケットも赤ということで、旧型客車とは別物もいいところです(登場時のモケットは“青”だったような気も・・・張り替えられた?)。
ただし、冷房装置は結局装備しないまま登場し、大半の仲間は冷房を装備しないまま廃車されています(オリジナルの50系客車で冷房化されたのは、九州の一部車両だけだったかと・・・(改造車ならば、四国の格上げジョイフルトレイン「アイランドエクスプレス四国」、東日本でごく短期間活躍した「アメリカン・トレイン」と「ノスタルジック・ビュートレイン」あたりもいますが・・・)。

DSC_0977_R.jpg
床の飾りっ気がないのは、国鉄くおりちーです。

DSC_0980_R.jpg
2扉の一般型客車ですが、何気にデッキつき。
デッキ付近はロングシートであることに加えて、仕切扉もごらんのワイドサイズで、ある程度通勤通学輸送にも対応できるような構造になっていました(事実、晩年の四国では、朝夕の輸送力列車に優先的に充当されていたものです・・・)。

DSC_1024_R.jpg
オハフ50形のデッキにはトイレがありますが、もちろん(?)垂れ流しです。
「停車中にトイレ使ったらダメ」という掲示を知る世代も、もうオッサン以上ですね
(走行風に流して沿線に黄害(?)を撒き散らすことが、ほんの25年ほど前まで当たり前だったというこの現実・・・。なお、長時間停車している駅では、列車が発車した後に、トイレットペーパーが軌道上に散らかっていたことを知る世代も、これまたオッサン以上です(失笑))。

言うまでもありませんが、現在はトイレは閉塞されており、このトイレの中をうかがうことはできません・・・。




・・・ということで、全体としては現役時代の姿をありのままに伝えすぎていて、オッサン歓喜というかオッサンホイホイですが・・・

DSC_0978_R.jpg
各所に家庭用のエアコンが設置され、廃車されてから冷房化された・・・というのが、現代的といえば現代的なところなのかもしれません。

よくよく考えてみると、50系客車が登場したのは蒸機全廃後の昭和52(1977)年です。
したがって、蒸気機関車が定期列車において50系客車を牽引したことはありません
そんな50系客車が、はからずも“蒸気機関車館”で保存されているのも、笑い話といえば笑い話なのかも、しれませんね・・・。

なお、この駄文を書いていて思い出しましたが、梅小路所属のC56形160号機が、平成元(1989)年に予土線で運転された(「SLしまんと号」)際に牽引した客車が、当時松山運転所所属であった50系客車でした
(当時厨房の私は、乗りにいきたくてしかたなかったのですが、都合がつかず断念・・・orz)。
きちんと調べたわけではありませんが、蒸気機関車が50系客車を牽引したのは、この一度きりではないかと思うのですが、どうでしょう・・・。

さて、このオハ50・・・梅小路蒸気機関車館閉館~京都鉄道博物館開館という流れの中で、新博物館にそのまま引き継がれるのでしょうか、あるいは、あえなく撤去されるのでしょうか・・・。

個人的には、これからも梅小路を見守ってほしいと思うばかりですが・・・。




・・・ということで、駆け足でしたが、先頃閉館となった「梅小路蒸気機関車館」の探訪記でした。
来年春の「京都鉄道博物館」の開館に向けて、その施設の一部となる「梅小路蒸気機関車館」の改装も急ピッチで進むのでしょうが、さて、どこがどう変わり、どこがどう変わらないのでしょうか・・・。

開館したらできるだけ早く出かけようとは思いますが(どうせ同じ京都市内だし)、開館からしばらくはダダ混みなんでしょうね・・・。

(おしまい)
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

50系

私が生まれた頃には四国での50系は全廃されてましたし、四国で乗ったこともありません。2年ほど前に北海道のくしろ湿原ノロッコ号で初めて乗りました。1号車かなんかが確か原型の青いモケットでした。SLに牽引されているものでは、SLもおかとSL人吉がありますが、いずれも50系は原型を留めてないですし…。あと、SL銀河も客車はキハ141ですから、一応50系のグループでしょうか…。

Re: 50系

原形の赤い50系を知る世代も、すっかり年寄りです・・・(例外的に遅くまで残った九州を除けば、1990年代前半には淘汰されてしまいましたからね・・・)。
それはともかくとして、現在も走る50系客車は、ご指摘の通り北海道の「ノロッコ号」、真岡鐵道とJR九州のSL列車くらいのものですが、原形・・・とはいえませんね(いずれも乗りに行ったことがないので、無駄に乗りにいってみたいところですが、いずれも「遠い」というこの現実・・・)。
また、SL銀河のキハ141系・・・確かに、もと50系(北海道仕様の51形)でしたね。床下にエンジンがつく車両を客車と言っていいのか・・・という説もありますが(それを言うならば、12系や14系の発電機関搭載車(スハフ・スハネフ)はどうなるのか・・・という説もあり)。
プロフィール

キモプアの紙

Author:キモプアの紙
キモメン兼デヴ兼クソヲタ兼フニーターで当然の帰結として“プア”・・・。略して“キモプア”。
その中でも(まあ、ほかに“キモプア”を自称する物好きもいないでしょうが・・・)選ばれし“逆”エリートゆえに“紙”(ペーパー的な意味で・・・orz)。

最新記事
最新コメント
月別アーカイブ
カテゴリ