リニア・鉄道館探訪記⑤(26年9月)

「その④」のつづきです・・・

正面
クハ381-1の隣には、大東亜戦争前の華やかなりし時代に登場し、一世を風靡した“クモハ52004”が展示されています。

流線形
どことなく愛嬌も感じさせるようなスタイルですが、1930年代に世界的に流線形が流行ったことを受けて登場したものです。側面から見ると流線形っぷりがよくわかります。
大宮の鉄道博物館入りが有力視される、流線形電機ことEF55-1も、同世代の車両です。

急行
運転室の窓には燦然と“急行”表示が輝いています。
登場後しばらくは、京阪神地区で急行電車(なお、戦前においては後ろに“電車”とつけば急行料金は不要)で活躍したそうです。
現代の新快速のご先祖様・・・というところでしょうか。

京阪神地区を去った後は何だかんだとあって飯田線に転配され、そこで生涯を終えたために、“リニア・鉄道館”の前身である“佐久間レールパーク”で展示され、“リニア・鉄道館”の開館とともにここにやってきました。

室内
車内に入ります。
国鉄(登場当時は鉄道省)の電車としては少数派(?)である緑のモケットが、電球色の照明・木製の室内と相まって、渋い雰囲気を醸し出しています
(国鉄電車=青モケットという思い込みがあるのも、結局は111・113系グループや103系の影響がいかに大きいか・・・ということではあるのですが・・・)。

床
床は当然木製。

運転室
運転室の背後にやって来ました。
現代の展望を売りにする車両に勝るとも劣らない、堂々たる展望性です。
この窓越しに、新京阪電鉄(現阪急京都線)のP-6形とやり合っていた姿を眺めることができていたら・・・と、妄想だけは膨らみます(まあ、80年ばかり前のことなんですけどね・・・)。




クモハ12
クモハ52の後ろには、同じように旧型電車であるクモハ12形(クモハ12041)が展示されています。
クモハ52よりは、若干前の世代の車両です。

室内
室内。
青いモケットを見ると“国鉄電車”と、思えてくるのはなぜでしょう
(この車両も、鉄道省時代に登場した車両ですが・・・)。

木張り
乗務員室の仕切まで、全面木製です。
昭和初期(このクモハ12041の登場は昭和2(1927)年)の雰囲気を今に伝えます。

網棚
網棚。
最近の車両ではまず“網”になっていませんが、昔はリアルに“網”だったさまを目の当たりにすることができます。

運転室
運転室。
後年改装された廃車時の姿を保つためか、こちらはあまり古さを感じさせません
(“ATS電源投入”の記載が妙に生々しい・・・)。

世代を超えて
前回取り上げたクハ111-1と並んでいます。
この両者には、だいたい35年の世代差がありますが、別物もいいところです。




正面
クモハ52の隣には、これまた年代物であるモハ1形電車(モハ1035)が展示されています。
クモハ12形は、室内こそ木材が多用されていましたが車体は鋼製であったのに対して、大正生まれのモハ1形になると、車体そのものも木製となります。

モハ1035
側面。
取りあえず重々しい・・・。

重厚な台車
外観も重々しければ、足回りも重々しい。

特徴的な台車
ハンガーよろしく板ばねを連ねているのも、重々しさを醸し出すのに貢献しています(実際重いのでしょうが・・・)。




・・・ということで、戦前生まれの電車の展示について振り返っておきました。

クモハ52
当然と言えば当然ですが、これらの車両が登場した頃のことはもちろん、昭和40年代から50年代にかけての現役最晩年の活躍も、私くらいの世代では“リアル”に知ることはありません。

その意味では、実感のこもった思い入れ・・・はあまりないのですが、戦前の段階でこれだけの車両を走らせていた鉄道省のことは、後世の人間としても誇りに思っておいていいのではないか・・・とも、思うことしきりでした(別に私が何をしたわけでもないけどな・・・)。

それにしても、現在も同じ世代の仲間が走っている現役車両(新幹線700系)から、果ては大正生まれのモハ1形(展示されているモハ1035は大正11(1922)年生まれとか・・・)が同じ場所に展示されていて、しかも“実車そのもの”だというのですから、考えてみるととんでもないことなのかもしれません。

「その⑥」につづく・・・
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

キモプアの紙

Author:キモプアの紙
キモメン兼デヴ兼クソヲタ兼フニーターで当然の帰結として“プア”・・・。略して“キモプア”。
その中でも(まあ、ほかに“キモプア”を自称する物好きもいないでしょうが・・・)選ばれし“逆”エリートゆえに“紙”(ペーパー的な意味で・・・orz)。

最新記事
最新コメント
月別アーカイブ
カテゴリ