リニア・鉄道館探訪記③(26年9月)

「その②」のつづきです・・・

700系と300系の隣には・・・

0系
国鉄の象徴・初代新幹線0系

100系
2代目東海道・山陽新幹線100系が、展示されています
(100系の方が300系の隣です・・・。並びとしては、700系、300系、100系、0系(そして在来線車両が続く・・・)と、なります)。

700系や300系が先頭車1両ずつの展示であるのに対して、0系と100系は

先頭車+食堂車

2両ずつが展示されています(ほかに、0系についてはグリーン車も館内に保管されていますが、立ち入ることができないエリアです・・・)。




まずは、0系から眺めてみることにします。

座席多し
登場時の転換クロスシート仕様の室内を今に伝えます
(ただし、展示されている先頭車“21-86”は、昭和46(1971)年製の増備車につき、開業当初からの車両とは異なります。

四国でも“四国鉄道文化館”でおなじみ(ただし、あちらはカットモデル)の21形ですが、やはり

1両まるっと保存されていると、存在感が違う

ものですね。
もっとも、埋め立て地の広大な敷地に立つリニア・鉄道館と、街中の狭隘な敷地に立つ四国鉄道文化館を同列に比べるのも、それはそれで間違いでしょうが・・・。

非常口
このころの0系の特徴として、非常時に乗客が脱出するための非常口があったことがあります。
幸いにして、この非常口から乗客が脱出しなければならないような重大事故に遭遇することなく新幹線は安全運行を続けてきました。

食堂車
“21-86”に続いて連結されているのが、食堂車の“36-84”です。
山陽新幹線が博多まで延長されたときに登場した車両ですね。

昔の時刻表を眺めると、この“食堂車マーク”が当たり前のように掲出されていることに、時の流れを感じずにはいられません(年とるわけだ罠・・・orz)。

食堂車
食堂部分。
大柄な新幹線車両であることに加えて、2+1配置のため、スペースには非常にゆとりがあります。
この食堂車が連結された0系にも何度か乗るには乗っているはずなのですが、だいたいにおいて「新大阪~岡山」という短距離しか乗っていないこともあって、結局食堂車の利用者になることはないままでした・・・。

通路
ちなみに、富士山側は通過客用の通路になっています。
食堂車の登場時には食堂と通路の間の窓はなかったのですが、「富士山見せろゴルァ!」という乗客の熱い声(?)に押されて後年に窓が設けられた・・・というのも、有名なエピソードです。

厨房
そして厨房。

スカート
再び“21-86”の先頭部にやって来ました。
スカートに何気に車両番号が書いてあったりもします。

0系のスカート・・・といえば、スカートをめくって(←かくして、品性のなさとオッサンぶりを露呈させる・・・orz)・・・裏側に回り込んで・・・

排障器
毎度おなじみ(?)鉄板5枚重ねの排障器です。

なお、“リニア・鉄道館”の大きなポイントとして、

展示車両に間近に接することができる
(基本的には目障りな柵の類はないので、こうして潜り込んで・・・というか、床下も観察しようと思えばできます(デジカメのチルト液晶を使っただけだけどな!))

ことがあります。




お次は100系です。

室内
先頭車は“123-1”・・・。何気に量産車のトップナンバーです。
訪問時はたまたま“100系の運転室開放”が実施されていたため、車内の全景をきれいに収めることはできませんでしたが、0系と比べると接客設備は一挙に進化したことは伝わるのではないかと・・・。

ゆとりの造り
登場したのが国鉄末期~JR初頭・・・要するに、我が国がバブルな景気に踊っていた時代ということもあってか、非常にしっかりした造りの座席です。
後継の300系なんぞより、座席はよほど上ですね

余談ながら、高校生の修学旅行で東京くんだりに出かけた際、帰りは岡山まで新幹線だったのですが、その際に充当されていたのが、“のぞみ”号の300系に第一線を追われた100系X編成(国鉄時代に製造された100系)でした。
この“123-1”に乗車したのかまでは記憶が定かではありませんが、この車両の仲間に乗車したことに間違いはありません。
何だかんだ言っても、岡山までは“のぞみ”に抜かれることなく、キレた走りを展開してくれましたが、長時間(約4時間)乗っていてもほとんど疲れを感じさせなかったのはさすがでした
(なお、当時からエリートぼっち非コミュでしたので、喋ったり騒いでいたから疲れなかったのではありませんよ!)。

食堂車
隣に連結されているのは、こちらも食堂車の“168-9001”です。
先頭車が量産車のトップナンバーであるのに対して、食堂車は量産先行車が保存されています。
2階が食堂、1階が厨房(兼、乗客用通路)でしたが、同時に売店も設置されていたことが、このピクトグラムからはうかがえます・・・。

通路は1階
1階の通路を通って・・・

階段
デッキに回り込みました。

階段を昇ると・・・

食道
魅惑の食堂です。
0系の場合は通路にスペースをとられたこともあって2+1配置でしたが、100系の場合は通路と完全に分離されたこともあり、2+2配置となっています。

2階の高さから景色や対向列車を眺めつつの食事は優雅極まりなかったのだろう
(窓もワイドです)

と、思うことしきりですが、結局はこの100系の食堂車も利用することができずじまいでした・・・。

エッチング
食堂の入口には、国鉄の誇る歴代のエリート車両のエッチングプレートが飾られていました。

厨房
1階の厨房。
できあがった料理を2階に運ぶためのエレベーターが特徴的です。

高さが違います
連結部。

2階
2階の回廊(?)から見下ろしてみました。
食堂車だけが頭一つ抜け出しており、平屋建て車両と2階建て車両の“高さの違い”がよくわかります。




さて、訪問日はたまたま100系の運転室が公開されていました。
最初に100系の車内をウロウロした際には、親子連れ主体に割と並んでいたのでスルーしたのですが、後で見にいってみると行列が解消していたので、私も運転室に入ってみることにしました。
なお、保存車両の運転室公開はわりと行われているようですが、どの車両の運転室が公開されるかは時期により変わるようです。

深く倒れます
原則として座席への着席ができないリニア・鉄道館の保存車両なのですが、このときの“123-1”は、運転室見学者の待機スペースとして一部座席への着席が許可されていたので、座ってみました。
ついでにフルリクライニングもさせてみました。

何この高級な座席?
何このぶっ倒れる座席?


何というか、“ソファ調”ということになるのですが、掛け心地が柔らかいのです。
しかも、詰め物をきちんと詰めた上での柔らかさです(どこぞやのスカスカの詰め物な指定席とは違う罠)。
もちろん、昭和61(1986)年の登場から30年近く経っているのですから、へたっているところもあるにはありますが、“へたってコレ”ですからね・・・。

そうして掛け心地を堪能しているうちに、順番が来たようで運転室に呼ばれました。

座席
何人の運転士がここに座ったことでしょう・・・。
0系の運転士席には何度か座りましたが、運転士席も全然違う罠。

運転室
運転台。
ところどころデジタル化されていますが、基本的な造りは0系を引き継いでいます。
まあ、足回り的な意味では0系から大して進歩してないので、それもそうですか・・・。

少し近代的
設定パネルやモニターは、さすがに世代の違いを感じさせますが・・・。

高い
視線の高さは、後の世代の車両とは決定的に違うことですね。
見える景色は建物の中になりましたが、この運転台からかつて眺めることができた220km/hの景色は、さぞ爽快なものだったのでしょう・・・。

トップナンバー
トップナンバーの証。

次から次へと立ち入り希望者がやってくることもあり、数分の滞在でしたが、得がたい経験ができました。
もっとも、基本的には親子連れが中心で、記念撮影の需要に応えるべくデジイチを持ったおにいさんが(運転室の安全確保も兼ねて)傍らに立っている状態でしたが(“商魂たくましい”ともいう)、

得体の知れないキモいオッサンがニヤニヤしながら居座っているのはホラーだった

・・・と思いますよ。まあ、お子様限定とか家族連れ限定というものでもなく、入ってかまわないといわれたから入ったのではありますので、あしからず・・・。

とがってる
シャークノーズとかサメとか歌舞伎とか・・・まあ100系の先頭形状についてもいろいろいわれましたが、個人的には新幹線車両でもっともスタイリッシュだと確信しているのも、もっとも思い入れがあるのも、この100系だったりもします
おそらく、(山陽“こだま”時代も含めれば)私自身がもっともお世話になった新幹線はこの100系です
(山陽100系の晩年は、100系充当列車にばかり乗っていました。グリーン車からかっぱいで移設された重厚な4列シート目当てといういこともありましたけどね・・・)。

0系を(図鑑とか何とかで)見慣れた小学生のあの頃、報道で知った100系のこのスタイルと、次元の違う客室設備に衝撃を受けたことを、昨日のことのように・・・というのは大げさにしても、今もよく覚えています。

足回りは300, 500, 700, N700(A)系とどんどん進歩していきましたが、客室設備についてはこの100系が確立した仕様が、今もなお引き継がれています(シートピッチ1040mm(3人掛け席も回転可能)、横5列)。

まあ、

座席はダメになってるけどな
(N700(A)系はともかくとして・・・)

100系
(これも2階から見下ろしたもの・・・)
何より、2階建て車両の存在と合わせて、これほどまでに

乗っていてワクワクする新幹線

は、もう二度と登場しないのではないか(少なくとも実用性上等の東海道新幹線では・・・)と思うと、100系の偉大さを痛感するとともに、“時代の違い”も、感じずにはいられません
(二度と、バブルな景気なんてこの国にはやってこないでしょうからね・・・)。

「その④」につづく・・・
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100系が最高!

0系しかなかった当時ひかりの食堂車はあって当然。名古屋に着くたびに食堂車で水の補充をし、排水をする設備が線路間にありました。いまでも名古屋にあるのかな?子供だったころは新幹線が発車したあとも排水が完全に終わってないこの設備をなぜか見に行くのが好きで、ふつうは先頭の方とかに行くものなのに変人です。
そして2階建て食堂車・個室を含む初期の編成、食堂車が無くなってカフェテリア・個室・2階建てグリーン車2両の編成、個室が無くなって食堂車と2階建てグリーン車3両のグランドひかり(だったような)とそれなりにバリエーション豊富な100系が登場してとにかく新幹線に乗りたい、そんな気持ちにさせられました。100系初期の試作車はいまの700系と同じく「狭窓」でしたので量産車が「広窓」になって本当に良かった、もちろん遮光の点ではイマイチですが、車窓を楽しむのには最適。
100系食堂車は利用したことがありませんが、金銭感覚がおかしかった当時はグリーン車2階席を利用し防音壁に遮られることのない車窓を堪能したものです。もちろん時間がかかるこだまを利用し少しでも長く乗車するこのセコさ。昼ならパスですが夜のときはグランドひかりの1階席普通車が4列だったので好んで利用と、時刻表とにらめっこして選ぶ楽しさがありました。
民営化でJR東海がビジネス客優先に特化したのは会社だからしょうがないですが、もう少し遊びがあっても良かった気がします。

同感です

食堂車の給水・排水設備・・・確かにありましたね。
名古屋駅の新幹線ホームに立ち入ったことがないので自分で見たわけではありませんが、岡山駅の排水溝はまだ残っていますので、名古屋駅のものも残っているのではないでしょうか。
100系といえば、編成ごとのバリエーションも魅力的でした。国鉄時代に登場したX編成(食堂車とグリーン車のうちの1両が2階建て)、JR東海が増備したG編成(食堂車の代わりに2階グリーン/1階カフェテリア車が入る)、JR西日本が増備したV編成(2階建て車を4両連ねた、伝説の“グランドひかり”)と、分かれていたものです。
G編成が登場したときには、「食堂車を廃止するなどけしからん」「広島や博多まで走る“ひかり”号で食堂車無しとか舐めとんのか」などと、割と批判が多かったように覚えていますが、今となってみれば、「カフェテリアがあるだけでも大したもの」と、なりそうです(コンビニとだいぶ重なるところもありますが・・・)。

今でも700系やN700系のように、JR東海とJR西日本で仕様の違う車両が走ってはいますが、“東海道新幹線の中で同系列にして違う仕様の車両が走る”ことは、共通運用にうるさい現状のJR東海の立場からすると、もうなさそうです・・・(「もう少し遊びがあってもよかった」というのは、私としても同感ですが、他方で東海道新幹線の盛況ぶりを目の当たりにさせられると、実用性上等の詰め込み仕様になるのはしかたのないところがあるのかも、しれません・・・)。

2階建てグリーン車はもちろん、(グランドひかりを除く100系にあった)グリーン個室にも一度くらい乗りたかったのですが、学生の身では無茶でした(今も無茶か・・・orz)。山陽こだまの晩年時代に、“グリーン車の座席”だけは何度も味わったのが、せめてもの抵抗でしたか。
食堂車もそうですが、“乗りたい使いたい”と思いを募らせているうちに永遠にかなわなくなることが続くと、何かとやるせなくなります。
プロフィール

キモプアの紙

Author:キモプアの紙
キモメン兼デヴ兼クソヲタ兼フニーターで当然の帰結として“プア”・・・。略して“キモプア”。
その中でも(まあ、ほかに“キモプア”を自称する物好きもいないでしょうが・・・)選ばれし“逆”エリートゆえに“紙”(ペーパー的な意味で・・・orz)。

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