四国鉄道文化館探訪記・平成26年夏(その⑥)

「その⑤」のつづきです・・・

DF50
四国鉄道文化館・北館の“ヌシ”といえば、この“DF50-1”でしょう
(・・・といっても、実車は2両しかいないのですが・・・)。

入替兼用のDE10形とは異なり、本線用らしい堂々たる箱形車体の存在感は抜群です。
私が幼少の頃(昭和58(1983)年限り)で本線からは引退しましたが、このトップナンバーのみが多度津工場で長年にわたり大切に保管され続けていました。
この“四国鉄道文化館”の開館を期に、西条の地に移転してきて、今に至ります・・・。

運転室は開放されています
機関車らしく、運転室は高めの位置にありますが、ステップが設置されており、運転室については常時開放されています
(だからこそ、不届きな輩に壊されないかどうか、危惧するところも無きにしも非ずですが・・・)。

昨年末の訪問に引き続いて、今回も運転室に立ち入ってみました。

機関士席
機関士席。
南館に展示されているC57形蒸気機関車の置き換えにも使われ、性能的にもだいたい似たようなものと言われるDF50形ですが、運転室の居住性、展望性には隔世の感があります・・・。

視界良好
位置が高いこともあって、視界は割と良好です。

運転室
外から眺めるとこんな感じです。

ブレーキ
ブレーキ。
ブレーキハンドルはイタズラ抑止のためか、外されています。

マスコン
マスコン。
大型で段数が多いのが、機関車の機関車たるゆえんなのでしょう・・・。

電流計
DF50形と言えば、国鉄最後の“電気式ディーゼル機関車”(ディーゼルエンジンで発電機を回して、発生させた電力で台車に架装されたモーターを回す)としても知られていますが、“電流計”が目立つところに鎮座しているのもまた、電気式の証です。

助士席
DF50形が登場した昭和32(1957)年は、まだ機関助士の乗務が当たり前だった時代です。
機関助士席もまた、ご覧の通りの本格的なものです。

床は木製
運転室の床は木製です。
(現在は閉館となった)大阪の交通科学博物館に展示されていたDD54形の床は鉄板でしたので、ちょうど過渡期の仕様というところでしょうか・・・。

機器室
機関室に沿ってステップが設置されており、訪問時にはフィルター類が外されて、機関室の内部を眺めることができる状態になっていました。

機関
主機関。
昭和30年代初頭、未だ日本独自開発の信頼性が高い大型ディーゼル機関に恵まれなかったこともあってか、スイスのズルツァー(スルザー)社製の機関を三菱重工がライセンス生産した“8LDA25A”機関を搭載していました。
もともとが船舶用だったとかで、停車中にアイドリングしている際には特徴ある音を奏でていたことを、ぼんやりと覚えています。

発電機
そして“発電機”。
定格1060馬力のディーゼルエンジンにつなげられた“DM49”発電機により生み出された電力で、台車に架装された計6機のMT-48形電動機により動くわけですが、

定格出力は“600kw”

現在四国で主力となっている8000系特急形電車(量産車)の電動機S-MT60形の出力が1機200kw、つまり電動車1両の出力が800kwとなるわけで、現代の電車1両の出力以下の“機関車”って何?・・・と
(時代が違いますが・・・)。

重連にしたとか何とかといろいろと工夫もしていたようですが、よくこの出力で土讃線の勾配区間を突っ走っていたものです・・・。

連結器
連結器周り。
機関車の割にはシンプルなようにも思われますが、国鉄時代の客車にしても貨車にしても、大して配管が必要だったわけではありませんからね・・・(20系以降の特急用客車になると、また事情が変わってくるのでしょうが・・・)。

区名札
運転室側面と区名札。
この1号機は、現役車両としての最後を高松機関区で終えています
(ちなみに、何気に現在もJR四国に車籍自体は残されていたりもします・・・。もっとも、多度津時代の段階で工場内の小運転がいいところ、西条に来てからは一度も自走していませんが・・・)。

銘板
トップナンバー。
機関のみならず、車体も含めた全体が三菱製です。

台車
台車周り。
57-11 T. D・・・とは、多度津工場(T. D)で受けた最後の検査の日づけと、検査施行区所の表記でしょう。
非力だとか何とか言っても、足回りの重厚さは、やはり“機関車”です。

前照灯
前照灯。
運転室のスイッチを押すと、1分間点灯します。
最近のHIDだとかLEDとかとはひと味違う、暖かみのある光です。

屋根回り
ちなみに、この“北館”には、展望台よろしく高いところから展示車両を見下ろすことができるスペースがありますが、屋根を眺めるとこんな感じです。


全体
国鉄時代、四国は全国的にも比較的早い段階で蒸気機関車の運用を終えて、“無煙化”を完了させました(昭和40年代の前半には無煙化が終わっていたはずです・・・といっても、私は生れていない時期ですので、実感としてはさっぱりですが・・・)。

その立役者となったのが、急行形・一般型気動車と並んで、このDF-50形ディーゼル機関車でした。
その意味では、“四国鉄道近代化”の象徴的存在でもあるわけで、こうして完全な形で保存されていることは、やはり極めて意義深いものだと思います。
多度津時代には、工場が公開されない限りは一般人の目に触れることもなかったのですが、西条に来てからは(“四国鉄道文化館”が開館している日・時間帯であれば)いつでも逢うことができるようになり、だいぶ身近になりました。

いつまでも大切に保存されていてほしいという思いが半分

不届きなアホに荒らされないように願うのが半分


・・・です。

「その⑦」につづく・・・
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キモメン兼デヴ兼クソヲタ兼フニーターで当然の帰結として“プア”・・・。略して“キモプア”。
その中でも(まあ、ほかに“キモプア”を自称する物好きもいないでしょうが・・・)選ばれし“逆”エリートゆえに“紙”(ペーパー的な意味で・・・orz)。

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