プロローグ・四国への道①

先月の終わりに、誕生月であることをいいことに(というか、誕生月の旅行開始でないと“そもそも使えない”のですが・・・)、

JR四国名物・バースデイきっぷ
(消費税増税のあおりを受けて、「10,280円」と、280円微妙に値上がりしましたが、それでも、連続する3日間有効・JR四国全線&土佐くろしお鉄道全線の特急グリーン車乗り放題でこの値段というのは、コストパフォーマンス抜群です(あと、あまり使うことはないのですが、JR四国バスの一般路線バス(久万高原線と大栃線)も利用可能です))

を活用して、“鉄”分と“グリーン”分を補給してきました(笑)

・・・ということで、その時の記録を延々と書き連ねておきたいと思います(備忘録的な意味で・・・)。

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昨年に引き続き“2回目”ですが、昨年は開業したばかりの大阪バスの高速バス「高松特急ニュースター」号の夜行便で高松に直接入りました
もっとも、夜行高速バスにして“乗客3人”という大変残念な状況(乗っている側としては有難いのですが・・・)で、その後も利用が増えることなくあっけなく“休止”(・・・という名の、事実上の“廃止”)になってしまい、今回はこの手は使えません。

もうひとつの夜行での高松へのルートである“ジャンボフェリーの夜行便”も考えたのですが、みなさまの乗船記を読ませていただいていると、結構遅れることがある(しかも遅れても回復運航が期待できない)・・・という情報を前に、躊躇してしまいました。

・・・というのも、今回の「バースデイきっぷの旅」、私にとって絶対条件の一つとして、

8600系特急形電車への乗車
(念頭に置いていたのは、高松発の「いしづち103号」。朝だから景色見られるしね・・・)

がありまして、同列車が高松6時ちょうど発ということを考えると、ジャンボフェリーでは定時運航されたとしても(高松港5時着)、けっこう“綱渡り”なんですよね
(ジャンボフェリーの到着する港は駅から少し離れている(高松駅まで無料の連絡バスが走るレベル)ことに加えて、バースデイきっぷについては現地購入を予定していたため、購入のための時間も考慮に入れなければならないのです・・・)。

・・・ということで、

前日に“赤い18きっぷ”を活用して高松に入り、お安いビジネスホテルで前泊する

ことにしました。

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前置きが長くなりました。

旅立ちは京都駅
安アパート最寄りのバス停から京都市バスに揺られてやって来たのは、旅の出発地となるJR京都駅です。
午前9時を回ると、通勤通学の喧噪は終わりを告げ、ボチボチと観光客が目につきます。
有人改札で“赤い18きっぷ”の1回目のところにスタンプを押してもらい、ホームへ行きます。

かつての栄華を偲びつつ
京都駅からは、5番乗り場から発車する新快速で、姫路まで一気に抜けます。
ホームの端の方(東京方)は、東海道本線黄金期を偲ばせる、重厚な屋根の造りになっていて、旅立ちの雰囲気を高めてくれます。

新快速
(画像は姫路駅到着時のもの)

当初の予定では、9:30発の新快速を念頭に置いていたのですが、バスがスムーズに走ってくれたこともあって、1本早い9:14発の新快速に間に合いましたので、それで姫路を目指します。
それにしても、12号車という端の車両の、乗車列の先頭にいながら・・・

座れない・・・orz

いかに新快速が滋賀と大阪を強固に結んでいるか・・・を示すエピソード(?)です。
なお、こういうことがよくあるので、大阪へJRで行くときには、原則として(京都からでも座席の確保が比較的容易な)快速(高槻まで普通)を利用するのですが、姫路まで抜けるとなると所要時間の差がバカになりませんので、大人しく新快速です
(何せ、快速(高槻~西明石間のみ。後の区間は普通)列車は、京都から姫路までの間に、3回も新快速に抜かれるのです・・・)。

大阪・・・を待たずに、手前の新大阪で空席ができたので、ようやく着席です。
大阪では例によって乗客がほぼ入れ替わるため、どうあっても大阪から先は着席できるところですが・・・。

須磨海岸
須磨海岸を抜け・・・普段は高速バスで渡っている明石海峡大橋をくぐり・・・

姫路駅3番乗り場
京都から約1時間半で、姫路に到着しました。
ふつうの18きっぱーは、ここから山陽本線を通って岡山へ抜けるのですが、何せ山陽本線の兵庫・岡山県境区間というのは、

本数が1時間に1本と激減する上に、編成も短くて、下手をすれば最初から最後まで立ちっぱなし

・・・という、18きっぱー泣かせの難所として有名です
(クロスシート車が走るだけ、静岡地獄よりもマシという説もありますが・・・)。

それを避けるために、赤穂線へ迂回するのが中級者ですが・・・それも昔やった罠・・・ということで・・・

キハ126
(キハ122系。画像は作用駅到着時のもの)

姫新~津山線経由で岡山へ抜けることにしました
(もっとも、鉄ヲタならこの程度のこと“常識的”の範囲かもしれませんけどね・・・)

姫新線専用
入口のロゴが強烈にアピールしているように、姫新線(姫路~作用~上月間)の専用車です。
片運転台(2両編成を常時組む)なのがキハ127、両運転台なのがキハ122と区別されます。

なお、JR西日本の地方線区のお約束

地元自治体のお布施

により導入された、ローカル線の普通列車用としては結構高級な車両です


何がどう高級かというと・・・

クロスシート

クロスシート
基本は転換クロスシート(車端部はロングシート)。
しかも、2&1配置ときたものだ(もちろん、通学ラッシュ時の通路と定員確保という身も蓋もない理由ですが・・・。おそらく、同じように地元のお布施で導入された小浜線系の125系電車をベースにしています)。

通路は広い
トイレもバリアフリー対応の立派なものです。

そして、車両性能も高い・・・のですが、いくら高速化工事をしたところで、姫新線はローカル線・・・。
結局のんびりと走っていたりもします・・・(ちょこっと力行するときはいさましいものの・・・)。

難点を挙げるとすれば、運用の都合でデータイムにおいては途中の播磨新宮で強制乗り換えとなる上に、播磨新宮まではキハ127の2両編成だったのが、播磨新宮から先はキハ122の単行。
しかも、地元の学生や18きっぱーが播磨新宮から先も乗り通すため、2両分の乗客が1両に集中することになり、結局播磨新宮から先は下車した作用まで立ちっぱなしになりましたとさ・・・(笑)。

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作用駅
キハ127とキハ122を乗り継いでやって来たのは、山の中にある作用駅です。
かつては姫新線しかありませんでしたが、20年前に智頭急行が開業して以来、JR西日本と智頭急行両社の共用駅となっています。
もっとも、特急列車が割と発着する智頭急行線の乗り場に比べると、姫新線の乗り場は閑散としてます
(上の画像でいえば、左が姫新線乗り場、右が智頭急行線乗り場)。

ここでは1時間ほどの乗り継ぎ時間がありましたので、一旦改札を出て駅前をウロウロしていた・・・のですが、

山の中でも暑いものは暑い!!

・・・ということで、暑さにイヤになってしまい、冷房の効いた待合室に退却です。

キハ120
作用から津山までは、キハ120に揺られます。

ボックスシート
セミクロス仕様の300番台車がやってきましたので、ボックスシートに居座ることにします。
このボックスシート、画像だけ見ればそれなりのものに見えるようにも思われるのですが、見かけにだまされてはいけません・・・

新製以来ロクに手を入れられていないためか、座面の詰め物がへたりまくって涙目

・・・でした。これもローカル線の性なのか・・・(苦笑)。

そういや、私の前のボックスにいたじーさん2人組。姫新線からずっと同じ行程をたどっていますが、聞こえてくる話によると

名古屋から新快速や普通列車を乗り継いで津山まで行く

・・・そうで、元気ですな・・・。
まあ、若い人もじーさんばーさんも、私のようなオッサンも、だれにでも等しく開かれているのが“青春18きっぷ”です・・・

ロングシート
ちなみに、キハ120形300番台のボックスシートは中央部に4ボックスのみで、あとはロングシートです。
もっとも、いくら詰め物がへたっていようとなんだろうと、景色のよいローカル線で、首をひねらずに景色を味わえるのはありがたいものです。あと、トイレ付なのも地味に有難いですね・・・
(四国のキハ32と54、オマエラちょっとは見習えや・・・って、国鉄時代に製造された車両に文句言ってもね・・・(笑))。

軽快気動車
運転室付近。
JR化前後の、いわゆる“軽快気動車”の雰囲気を色濃く残すところです。

津山駅
こうして、京都駅から新快速と普通列車を乗り継ぐこと約5時間ちょっと(途中乗り換え待ちで1時間半ほど待ち時間がありましたので、実際に乗っていた時間は短くなりますが・・・)、中国地方の鉄道の要衝である「津山」駅に到着しました。

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それにしても、初めて姫新線(もっとも、途中の津山までですが・・・)に乗車してきましたが、かつては陰陽連絡急行(オールドファンにとっては、急行「みまさか」「みささ」あたりを思い起こすところでしょうか・・・)も走った線区も、今となっては地元需要(とりわけ通学生)に支えられた“ローカル線”ですね。
高速化工事の実施された姫路方はそこそこの走りでしたが、作用から西にはJR西日本ローカル線お得意の

25km/h制限

も、何カ所かありまして、とても急行列車がかつて走っていたところとは思えませんでした・・・
(かつて乗り通した因美線の智頭~東津山間を思い起こさせられました)。

もっとも、山の中を走り、線形もお世辞にもよろしいとはいえない・・・となると、高速道路との競争に“ならない”のは当然のこと、他の整備された陰陽連絡線(智頭急行線・伯備線等々・・・播但線は古き良き時代の残照をまだ残していますが・・・)に役目を取って代わられるのも、必然と言えば必然だったのかもしれません。

もっとも、それゆえに時が止まったような木造駅舎が(とりわけ作用よりも西の区間で)未だに残っている・・・とも、いえるのでしょうけれどもね・・・。

「プロローグ②」につづく・・・
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Author:キモプアの紙
キモメン兼デヴ兼クソヲタ兼フニーターで当然の帰結として“プア”・・・。略して“キモプア”。
その中でも(まあ、ほかに“キモプア”を自称する物好きもいないでしょうが・・・)選ばれし“逆”エリートゆえに“紙”(ペーパー的な意味で・・・orz)。

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