松山城に登城す(その①)

さて、時折ネタにしていますが、私の地元は松山です。

松山の二大名物といえば、

松山城と道後温泉です
(おそらく、“二大”と絞れば、そうそう異論は出ないでしょう・・・)

そんな、松山の誇り・・・ですが、実は、

これまでどちらにも(まともな意味では)“行ったことがない”


・・・という、この現実。

“まともな意味では”という留保をつけたのは、

松山城:天守閣の手前の“本丸広場”までは行ったことがある(要するに、入場料がかからないエリアまで)
道後温泉:本館を外から眺めたことはあるが、温泉に入ったことはない(これもまた、入場料がかからないエリアまで)

・・・という意味です。

しかし、それは松山出身者としてどうなのよ・・・ということで・・・
(まあ、“身近なところだから案外わざわざ行こうとは思わないもの”という説もありますが・・・)




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・・・ということで、ちょうど地元に籠もっているのをいいことに、伊予鉄市内電車6系統に揺られて、大街道電停にやってまいりました

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松山城は松山市中心部の勝山の山頂(標高132m)に鎮座しておりまして、いくつかの登城路がありますが、最もメジャーなのは、ロープウェイ/リフトで途中の長者が平まで登り、そこから歩いて登るというパターンでしょう。

したがいまして、案内としては伊予鉄市内電車/バスで大街道(の、北の端)に出て、そこから歩いてロープウェイ/リフト乗り場まで行ってくれ・・・とされることが多いです。

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とりあえず、何事も基本が大切ですので、王道ルートを通って行くことにしよう・・・と、最初は思っていました

なお、大街道からロープウェイ/リフト乗り場に向かう通り、かつては雑然としていたのですが、いつの間にやら電線が地中化されて通りも整備されまして、オサレに化けてしまいました。

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大街道からロープウェイ/リフト乗り場まで、だいたい400m程度です。
まあ、歩いてもしれている距離ですね・・・。

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歩くこと数分で、ロープウェイ/リフト乗り場に到着しました。
2月の平日の昼過ぎ・・・ということもあってか、人の姿は決して多くありません。
訪問日は天候も穏やかで、2月としては暖かめの日ではありましたが、平日の真っ昼間から優雅に登城できる人は、そう多くない模様(苦笑)。

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おやおや、いつの間にやらロープウェイ/リフト乗り場の傍らに、初代城主で在る加藤嘉明公の銅像ができていました。

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あくまでも“イメージ”なのでしょうが、なかなかに凜々しいですね。

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その銅像の隣には、東雲(しののめ)神社の参道がありました。
せっかくここまで来たのですから、お参りに行くことにしました。

・・・思えば、これが“王道ルート”から外れるきっかけになるともつゆ知らず・・・

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さて、神社へのお参りを終えてふと看板を眺めると、登城道へと道が通じているようです。
いくつかある松山城の登城道のひとつに“東雲口登城道”がありまして、そこに通じているようです。

なるほど、見上げればリフトとロープウェイ・・・ということで、リフトやロープウェイでスイスイと登るもよし、リフトやロープウェイから見下ろされながらあくせく歩いて登るもよし・・・ということのようで

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さて、いったいここは登城路のどのあたりだ・・・って、

ほぼ半分登っているではないか!

どうせ“残り半分”なのであれば、あえて下山して、料金を払ってリフト/ロープウェイに乗るのもアホの子というもの・・・



頑張って“全区間歩いて登る”ことにしましたよ・・・
(歩けばタダだし・・・って、若い頃ならまだしも、運動不足の肥満体中年が無理しやがって・・・(失笑))

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リフトとロープウェイの下をくぐりまして・・・

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(この画像は登城道の背後を振り返っているもの。「歩いて登る人」よりは「歩いて降りる人」の方が多い印象でした・・・(そういう需要も想定してか、ロープウェイ/リフトについては「片道料金」も設定されています))
いつの間にやら整備された東雲口登城道をひたすら登ります・・・。

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いつの間にやら標高も上がっていたようで、眼下には松山の市街地が広がります。

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結局、東雲口登城道の入口(東雲神社への参道入口)から、15分ほどで長者が平に着きました。
正直、このくらいの距離と時間であれば、あえてリフト/ロープウェイに乗る意味あるのか?・・・という気もしないでもありませんが、お子様や高齢者にとってはありがたい設備なのでしょう・・・。

なお(おそらくは県庁裏登城道か黒門口登城道を利用したのだと思いますが、記憶があいまい・・・)小学生の頃には歩いて登り、高校生の頃には走って(体育の授業の一環で強制的に)登らされたことを思えば、体力の落ちた運動不足の肥満体中年・・・といえども、歩いて登るくらいはできないと“おかしい”のかも、しれませんね・・・

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そうして、リフト/ロープウェイ代をケチった(?)のはいいものの、息は上がっています--だから“体力の落ちた運動不足の肥満体中年”というのだ!--。ちょうど、長者が平のロープウェイ/リフト乗り場に隣接して飲食・休憩スペースがありましたので、2月なのに

いよかんソフトクリーム

を食しているという、この現実。

なお、連続勾配を休みなく登って息が上がった後だけに、冬とはいえソフトクリームの冷たさが身にしみました・・・




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さて、長者が平から先は、いかなる“文明の利器”もありません。
誰もが等しく、頑張って歩いて登るしか、ありませんよ(車椅子で押してもらう・・・には、緩いとはいえ勾配がありすぎますね・・・)。

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きれいに残された石垣を眺めながら、先へ進みます。

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それにしても、(いまさらながら)石の組み合わせと積み上げだけでかくも壮大な石垣を形作るのですから、江戸時代の日本人、侮りがたし・・・。

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少しずつ標高が上がっていきます。

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現存する最初の門である「戸無門」が見えてきました。
その名の通り、戸がありません。

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戸無門をくぐると、松山城最大の門である筒井門が迎えてくれます。

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“最大の門”ということもあってか、ここが城山(登城道)と本丸広場の“境界線”になっているようです。
城山については24時間いつでも立ち入るだけは自由ですが、本丸広場については(ゆるやかとはいえ)開放時間に制限があるようで、深夜の立ち入りはできないようです
(逆に、こんなに長い時間本丸広場が開放されているということの方が、個人的には意外でした・・・。てっきり、天守閣の公開時間(季節によって公開終了時間が変わりますが、おおむね9時~17時))に連動するものばかり思っていたもので・・・。

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筒井門周辺はベンチも設置され、プチ展望広場状態となっています。
せっかくなので、眼下の松山市街を眺めつつ、一休み・・・。

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筒井門から広場を抜けると、太鼓門があります。
この太鼓門を抜ければ、いよいよ・・・

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本丸広場に到着です。

ここまでは以前何度か登ってきているはずなのですが、ロープウェイ/リフト降り場(長者が平)から、こんなに遠かったけ?・・・というのが、偽らざる実感。
まあ、前回ここまで来てから軽く20年は経っているのですから、そんな昔の記憶アテにならないということなのでしょう・・・。

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“広場”というだけあって、相応の面積を有しています。
ベンチがいくつか設置されているので、一休みするもよし。
眼下には松山の市街地が一望できますので、エラくなった気分になるもよし。

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定番スポットだけあって、記念撮影スペースもあるわけですが(現代なら“インスタ映え”?)、こんな“ゆるキャラ”が・・・
初代城主である加藤嘉明公を“ゆるく”した「よしあきくん」ですって・・・。

なんでも“ゆるく”すればよいものでもなかろうに・・・と、個人的には思わないでもないのですが、他の観光客からはウケていたようです(いくらカメラやスマホを向けられても、イヤな顔ひとつしない“ゆるキャラ”の鏡ですな・・・)。

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さて、この本丸広場、桜の季節にはとても華やかな雰囲気になります(同時に、“人多すぎ”状態にもなりますけどね・・・)。
他方で、桜しかないと思っていたらさにあらず。
梅の木もそれなりにあるようで、ちょうど見頃を迎えておりました

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さて、この本丸広場まではこれまで何度か来たことがある--しかし、最後の訪問から20年を経ているので、だいぶ忘れていた・・・orz--のですが、今回はきっぷ売り場で入“城”券を購入して、先に進みますよ

(「その②」につづく・・・)
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「伊予灘ものがたり」ふたたび(内子・大洲町並散策1日パスの旅(その④))

「内子・大洲町並散策1日パスの旅・その③」のつづきです・・・

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昼過ぎに松山駅を出て、途中内子の“町並”を“散策”しつつ、夕方の伊予大洲駅にやって来ました。
ここからは久しぶりに(・・・といっても、前回の乗車から半年も経っていませんが・・・)、「伊予灘ものがたり・道後編」に揺られて、松山に戻ります

なお、大洲の“町並”は“散策”しないのか・・・というツッコミもあるかもしれません。
もちろん、大洲にも土蔵が残る町並が保存されていることは事実なのですが、いかんせん・・・

駅から遠い

(駅から2.5~3kmほど離れており、内子のように歩いていく気にはなれない・・・)

・・・の、ですよね・・・。

まあ、とりわけ明治・大正期の鉄道駅は、中心街から離れたところに設置される傾向があったそうですから、ここ大洲においても、事情は同じようなものなのかもしれません・・・。

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さて、意外に思われるかもしれませんが、国鉄線(現在のJR線)としては、松山駅(昭和2(1927)年開業)よりも、ここ伊予大洲駅の方が、開業が早いです
(もちろん、単純に「松山の鉄道線」という意味では、明治22(1889)年に開業した伊予鉄道が、“四国最初の鉄道”として存在します)。

ちょうど今年(平成30(2018)年)が伊予大洲駅の開業100周年だそうでして、こんなプレートが掲出されていました
(ただし、開業時には私鉄の「愛媛鉄道」で、のちに国有化されて国鉄線となっています)。




さて、これから乗り込みます「伊予灘ものがたり・道後編」、もちろん始発駅は八幡浜駅です。
「伊予灘ものがたりきっぷ」(JR四国ツアーの企画商品)を利用した昨年9月においては、その八幡浜駅から乗車しておりますが、今回は使用したきっぷ--内子・大洲町並散策1日パス--の有効範囲の関係上、途中駅となるここ伊予大洲駅から乗車します。

待合室でしばらくボーッとしていると、「伊予灘ものがたり・道後編」の到着を告げるアナウンスが流れましたので、1日パスとグリーン券を提示して、改札をくぐります。

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跨線橋からして“ごらんのありさま”ですよ。
なお、午前から昼下がりにかけて運転される「大洲編」(下り)と「双海編」(上り)は、伊予大洲止まりとなります。

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ホームには、串鉄橋を渡る“例の写真”が使われたポスターが掲示されています。

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土日祝日のみ運転の不定期列車ですが、きちんと乗車位置表示が掲出されています。
では、八幡浜からやってくる「道後編」の到着まで、少し待つことにしますか・・・。




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待つことしばし、八幡浜からやって来た「伊予灘ものがたり・道後編」が2番のりばに到着しました。
では、意気揚々と乗り込むことにしますよ

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(画像は下灘駅停車中のもの。よって、みんな降りてしまって車内は無人)
さて、前回の乗車では、1号車・茜の章が指定されました。
・・・今回は、京都市内某所の旅行センターで“面倒な客”と化しまして、シートマップを睨みながら、細かく座席と号車の希望を出しました
(なお、京都市内のマイナーなところではこの列車の発券経験がないのか、かなり戸惑わせてしまいました・・・。無理もないのですかね・・・)。

グリーン券の購入は乗車日のだいたい10日前、JR四国公式HPの空席状況では、空席ありを示す「○」表示でしたので、ある程度選ぶ余地はあるだろう・・・と思っていたのですよ・・・

そうしたらそれはとんでもない間違いで、

1人掛け席は全滅
2人掛け席もボチボチ埋まる
4人掛け席は空いてる
(ただし、3人以上の利用でないと4人ボックス席は発売されない)

・・・ということで、何と言うことはない




団体客やグループ客がいないから4人ボックス席が空いており、それゆえに空席数は10以上で、「○」表示になっているだけ


・・・ということで、

誰だ「○」表示ならガラガラで座席選びたい放題なんて思っていたバカは?!
(わたしです・・・(苦笑))


・・・というオチでした。


とはいえ、シートマップまで念入りにチェックしていただいて、「やっぱやめるわ」というのも失礼なものですし、どうせ地元に戻っていて座席が確保できるならば、乗らねば損よ・・・ということで、指定いたしましたのは、

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2号車・黄金の章の、2人掛け席

・・・で、ございます。

なお、私が購入したときには向かいには誰もいない--というよりは、向かいには誰もいないことを確認して座席指定した--のですが、車内に入ってみると当然の如く先客がいらっしゃいました
(・・・ということは、私が購入してから10日ほどの間に売れたということですね・・・)。

なお、「伊予灘ものがたり」号で相席になる可能性があるのは、この“2人掛け席を1人で購入する”という場合のみです。
基本的にはカップルなり夫婦なりグループ客なりを想定した造りで、座席が“正対”ではなく、斜めになっています。
要するに、“おしゃべりを楽しんでね”という造りであるわけですが、初対面の乗客同士が向き合っていると、気まずいぞ・・・。

そして、実際に乗ってみると、4人ボックス席もグループ客(団体客ではない模様)でほぼ埋まっており、他の2人掛け席もきっちり満席。




たとえ10日前まで「○」表示でも、いざ当日になると満席近くなるのが、平均乗車率9割オーバーの超人気列車の、超人気列車たる所以

を、いまさらのように痛感させられたのでありました。




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みきゃん先生に迎えられ、

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(2号車の床に鎮座しているので、注意しないと気づかないのですが)焼き物に迎えられ、いざ車内へ。


伊予大洲駅でのわずかな停車時間を終えると、列車は再びゆるゆると動き始めます(伊予大洲16:30発)。
床下から響いてくる国鉄時代以来のDMF15エンジン--大きいくせに非力--のサウンドが、とても新鮮です。
なにせ、JR他社のキハ40系の機関、あまりの非力さに機関換装が進んでしまい、原形機関を搭載するのも四国所属車くらいのものですからね・・・。

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さて、伊予若宮信号所から、いわゆる“海線”に入ります。
海線(愛称:愛ある伊予灘線)最初の駅が五郎駅ですが、こちらではタヌキ駅長とご一行様--タヌキの本格的な着ぐるみをまとった地元の方--のお見送りを受けることができます
(・・・が、山側の2人掛けボックス席にいると、海側にあるホームからのお見送りを画像に収めることは至難・・・orz)。

そして、地元の方が作成されたであろうPOP・・・

いつの間にやら“7万人”になっている・・・
(昨年9月の乗車時には“6万人”だったのに・・・)

・・・ということで、順調に乗客数は積み重ねられているようです・・・。さすが超人気列車。




さて、列車はしばらくのあいだ、肱川に沿って進みます。
今回は食事券を購入せずに乗車していることもありましてか、アテンダントさんが注文伺いにまわってこられました。
せっかくですので、プチ・ティータイムといきましょうか・・・

では、デザートセットをケーキで・・・





・・・・・・・・・
・・・・・・
・・・
売り切れですか・・・orz。

まあ、人気列車ですし、車内に積み込めるケーキの数にも限界はあるでしょうからね(隣のボックス席のグループ客がケーキを堪能していたのでいけるかと思ったのですが、タイミングが悪かった模様・・・・)


すかさずアテンダントさん、

「ロールケーキならありますよ」
(フォローが早いです・・・さすが!)


・・・じゃ、デザートセットをロールケーキで

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待つことしばし、注文したロールケーキとホットコーヒーがテーブルに届きました(合計1,000円。なお、ケーキもロールケーキもお値段は変わりません・・・)。
小ぶりですが、なかなか美味しそうです。
そして、皿やカップは定番の砥部焼(松山市の隣にある砥部町の特産品)ですね。

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砂糖やコーヒーフレッシュは、各テーブルに備え付けられたボックスから各自で取り出します。
このボックス、ギミックが面白いことに加えて、雰囲気も抜群なのでひとつお手元に・・・などと考えることもあるのですが、残念ながら非売品です(発売したら(価格にもよりますが)かなりウケると思うのですが、どうでしょう?)

なお、ロールケーキは生クリームがたっぷり、しかし甘すぎず、くどくない味で、おいしく堪能いたしました
他方でコーヒー・・・もちろん、車内で出されるコーヒーとしては必要十分なクオリティなのですが、他方で、「伊予灘ものがたり」号では、昨年乗車した際の「アフタヌーンティーセット」の紅茶が圧倒的な香りと味わいを誇っていたことを思うと、そこまでのものではなかった・・・というか、比べる対象が悪いだけですね・・・
(なお、ティーセットの紅茶と、単品で注文した際の紅茶が同じものか別物なのかは未確認・・・。ティーセットの方だけ特注品・・・ということであれば、これも比べる対象が間違っている・・・ということになりそうです)。

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さて、伊予長浜駅で下り列車と交換がてら短時間運転停車しますと、本格的な伊予灘の光景が眼前に広がる・・・と言いたいところですが、窓側席の乗客の頭越しなので、“堪能”とまではいかない、この現実

やはり、どうせ「伊予灘ものがたり」に一人で乗るのなら、海向きの1人席を確保するのがベスト・・・ということになりそうです
結局、喜多灘駅名物のアテンダントさんお手製の市境看板や、串駅の手前にある有名鉄橋も、窓側席の乗客の頭越しにどうにかこうにか“眺めた”だけでした・・・。




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17:17、列車は下灘駅に着きました。
客扱いはありませんが、乗客が外に出て駅を味わうための停車時間として、10分間が確保されています

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アテンダントさんによる車内放送もありますが、乗客の方も勝手知ったるもので、みんなして外に降りていきます。
私も後から降りていくことにします。

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相変わらずというか何というか、“人は多い”のですが、それでも昨年9月の乗車時--冗談抜きで100人レベルで人がいる--のことを思えば、やや人は少なめでした
まあ、2月の海沿いの駅、“寒い”といえば“寒い”ですからね・・・

おかげさまで、昨年9月のときよりは、若干“ゆとり”をもって撮影に励むことができた・・・ような気がします

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2月ということで少し日が短いかとも思いましたが、いざやって来てみると“ちょうどいい夕焼け”ですね。
食事時間帯にかからないこともあってか、「伊予灘ものがたり」号の中では比較的乗車しやすい--あくまでも“比較的”ですが・・・--「道後編」・・・。

他方で、「下灘駅停車を堪能する」という意味では、この「道後編」以上の存在はないのではないかと、個人的には思うところです
(ただし、晴れていることは大前提。曇天や雨天だと涙目・・・)

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1号車の赤い車体が、夕日に照らされます。

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「伊予灘ものがたり」号の運転開始に合わせて復元された、国鉄スタイルのホーロー駅名標が、いい味を出しています
(車内アナウンスでも紹介があります・・・)。

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夕焼けに照らされる車内・・・「道後編」の旅もクライマックスです。


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17:27に下灘駅を出発し、列車は先へ進みます。
途中、築堤に菜の花が咲き誇るエリアを通過。
海線にそういうエリアがあることは承知していたのですが、菜の花って2月でもこれだけ咲いているんですね・・・。

外から撮ればきっと“絵になる”のでしょうが、だいたい私は乗っているばかりのような気がします
(デジイチ所持者の分際で、走行写真の撮り鉄をほとんど“しない”という、この現実・・・)。




伊予上灘駅でも、下り普通列車との交換がてら運転停車です。
毎度おなじみ(?)犬のリセ駅長と猫のトラ副駅長が、飼い主さんに連れられてお見送りしてくれます。
アテンダントさんからも案内がありまして、わずかな時間とはいえ外に出て触れ合うことができます。

前回の乗車時には億劫がって車外に出なかったのですが、今回は外に出てみました。



やっぱり大人気で人多すぎで、まともに写真撮影どころじゃなかったですけどね・・・orz
(下灘駅と違って、「伊予灘ものがたり」号の利用者しかいないはずなのですが、それでも・・・)。


そして、伊予上灘駅を出て、高野川駅を通過すると、長きにわたり寄り添ってきた伊予灘のパノラマともお別れです。
パノラマとお別れのタイミングを見計らったかのように、アテンダントさんがワゴンをもって車内を巡回し、記念品販売のお時間です。
乗客の財布がそれなりに“ゆるく”なるのもお約束。

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さて、前回の乗車で定番のキーホルダーを購入した私、今回は“食べ物系にしよう”ということで、列車オリジナルのクッキーを購入しました(価格350円)。

このクッキー、何気ないように見えて、この「道後編」のアフタヌーンティーセットを担当する松山市内のパティシエの手による“本格派”です。
もちろん、列車内でしか購入できません。

最初は甥っ子のおやつにでもお土産がてら献呈しようかとも思いましたが、結局私が自分で食べてしまいました(苦笑)
もちろん、おいしかったです。

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そして、伊予市駅、北伊予駅、市坪駅・・・と、交換可能な駅でことごとく運転停車するのも、単線区間としては列車密度の高い伊予市~松山間の宿命なのかもしれません。
その時間を活かしてか、北伊予駅を出たあたりで、松山市からの記念品の配布がありました。

内容としては昨年9月の乗車時と同様に、

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観光パンフレット
道後温泉を再現した入浴剤


・・・の、セットです。

なお、入浴剤については道後温泉に昨年新たに開業した「飛鳥の湯」のPRも兼ねてか、“椿の香り”仕様になっていました。


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そうして、相変わらず盛りだくさんのイベントを経て、18:22、列車は定刻通り終点の松山駅・3番乗り場に到着しました
名残惜しいところですが、アテンダントさんの笑顔に送られて、降車します。


まあ、降車したと思ったら直ちに車両撮影のため先頭部に行ってしまうのが、悲しき性と言うべきか何と言うべきか・・・

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乗客が一通り降りると、使い終わった食器類や車内で発生したゴミ、さらには備品といったところが降ろされます。
宴が終わって・・・というところでしょうか。

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・・・と、向かいの1番乗り場に、8600系のフル編成が到着です。
今回地元に戻る際に利用した、「しおかぜ・いしづち17号」です

なるほど、このタイミングなんですね・・・。

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そして、「伊予灘ものがたり・道後編」が到着してしばらくすると、同じ3番乗り場に、松山始発で海線を経由して八幡浜に向かう普通931Dが入線しました。
列車番号から推察されるように車掌乗務列車ですが、編成としてはキハ32+キハ54と、オールロングシートです。
朝夕のごく限られた列車を除き、定期の普通列車ではロングシートからでないと伊予灘のパノラマを堪能できないのが、悲しいかな現実です・・・
(松山運転所に一般仕様のキハ47形が配置されていた頃は同系列が充当されていたスジですが、キハ47形の一般車が松山から撤退した今となっては・・・)。

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「伊予灘ものがたり」をPRする看板を眺めつつ、

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改札で乗車記念に「内子・大洲町並散策1日パス」と「伊予灘ものがたり号のグリーン券」をいただいて、帰路につきました。




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・・・ということで、私としては“2回目”の乗車というか、最初に乗ってからわずか“5ヶ月後”に早速リピートした「伊予灘ものがたり」号の乗車記録でした

たまたまこの日の「道後編」に限ってなかなか埋まらなかったので“これ幸い”とグリーン券を手配したのですが、いざ乗ってみると結局はほとんど満席状態という、この現実。

1人掛け席が全滅だったので2人掛け席を指定しましたが、やはり相席となりました。

重度のぼってぃ非コミュにつき(←自覚はしている)、同じ列車の乗客とコミュニケーション・・・なんてまず“できない”のですが、出発時から備え付けられている列車オリジナルのおしぼりが床に落ちていることを向かいの乗客さんからご教示いただいたことと、たまたま使用しているカメラのメーカーが同じという偶然(機種は違いましたが)から、勝手に連帯感(?)を抱いて話しかけてみたところ、おつきあいいただけて何よりでした
(傍迷惑だったのならば申し訳ありません・・・って、こんなネットブログ界の辺境をご覧になっているとも思えませんが・・・。また、ごついミラーつきデジイチを持ち込んでいても“大して浮かない”のも、観光列車の観光列車たる所以ですね・・・)。

たまたま同じような世代の男性どうしだった(これが向かいに女性客・・・だったら、まず黙りこくってたでしょうね。そのへんが“エリートぼってぃ非コミュ”の“エリート”たる所以だしな!)ということもありますが、こういう“一期一会”も、相席の場合あり得るのかもしれません。

前回のように1人席でひたすら外を眺めているのも、それはそれで充実していましたが、今回のように、たとえ伊予灘のパノラマは眺めにくくても--他の乗客の“頭越し”ですし・・・--、山側席もそれはそれでおもしろいものでした。

よくよく考えてみると、私が前回に乗ったときも台風通過直後で予讃線のダイヤがガタガタだったのに、キャンセルはほとんどなく、結局は8割方埋まっていた(団体客がしまなみ海道経由のバスで乗り付けることができたのも大きかったようですが・・・)ことを考えると、よほどのことがない限り

“空いている伊予灘ものがたり号”というのは、まずお目にかかれない


・・・となりそうです。

まあ、リピーターから初めての人まで、多くの乗客を引きつけるだけのモノが「伊予灘ものがたり」号にはありますので、それも当然でしょうか。


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アテンダントさんの手作りなおもてなし、細やかな気配り、そして、沿線の人々のこれまた手作りなおもてなしと盛り上げ・・・。
多くの人々に支えられて、「伊予灘ものがたり」号はここまで育ちました
(ちなみに、アテンダントさんの手書きによる沿線マップ、前回の乗車時とは変わっていましたので、定期的に(季節ごとに?)更新されているのでしょうね。芸が細かいです)。

これからも多くの人たちに、“ものがたり”を提供してくれることでしょう。

私が次に乗ることができるのはいつになるかわかりませんが、また地元に戻るときにグリーン券が確保できれば、乗車してみたいところです。
できれば、本格的な食事が提供される双海編か八幡浜編に挑戦してみたいのですが、考えることはみんな同じようなものなのか、この2列車のグリーン券確保難易度が高いのが、もどかしいところです
(さりとて、大洲編では少し朝が早すぎる・・・orz。・・・となると、次も時間的に好都合な道後編か?)。

(おわり)

内子・大洲町並散策1日パスの旅(その③)

「その②」のつづきです・・・

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八日市・護国地区の町並散策を終えて、内子駅への帰り道・・・。
乗車予定の列車の到着までにはいくらかの時間的余裕がありましたので、帰り道にある「内子座」に立ち寄ってみることにしました

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幟が立っていると、気分が出ますね・・・。

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街道から少し離れたところに、堂々たる劇場があります。
大正5(1916)年の創建以来、100年以上にわたって内子町を見守っています。

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堂々たる劇場です。
パンフレットによると、国の重要文化財に指定されているそうです。




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それでは、受付で400円の入館料を支払って、中に入ります。
1階から回るのが順路のような気もしないでもありませんが、何とかとかんとかは高いところにのぼりたがる・・・の法則(?)により、先に二階に上がってしまいました・・・。

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舞台を一堂に見下ろせるのも、気分がいいものですね・・・。

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一階、二階ともに客席がありますが、大正時代によくぞこの規模の劇場を、しかも山間部に造りあげたもので・・・。
それだけ、蝋燭を主体とする産業で、この時代の内子が栄えていたことの証なのでしょう・・・。

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町並保存地区をひたすら歩き回っていたこともありまして、二階の観客席に座って一休み・・・。

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一休みした後、舞台に降りてみました。

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舞台から上を見上げてみる・・・。

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舞台の前方には、一面の観客席。
気分だけは歌舞伎役者です・・・。

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二階にいたときも思ったことですが、木造建築とは思えない広大な空間です。

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舞台の一部は回転するそうです。

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舞台の一角には、記念撮影用の法被(?)が備え付けられていました。



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この内子座については、舞台の地下も公開されていて、立ち入ることができます。
そのことも意外といえば意外なのですが、

舞台の地下を“奈落”ということを、今更のように初めて知った・・・(苦笑)
(「奈落の底」という慣用表現とも関係するそうで・・・)。

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せっかく公開されているので、降りてみました
(後から画像を振り返ってみると、「出口」から降りて、「入口」から上がってた・・・。説明書きはよく読もう・・・orz)。

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「奈落」の説明書き。

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回り舞台の真下付近にやってきました。
「せり」・・・って、「せり上がる」の語源はこれかよ?!
(またひとつ暴露される“無知”・・・)

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「奈落」といい「せり」といい、無知は恐ろしいというか、実際の姿を目の当たりにすると、“実感を込めて理解できる”ものですね・・・。

とりあえず、「奈落の底」にはあまり落ちたくないものだと、あらためて実感しました。


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最後に改めて舞台を振り返りつつ・・・

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退館しました。
地元の人々に大切にされながら、これからも姿を留めてほしい、堂々たる劇場でした。




さて、町並保存地区への“往路”に立ち寄っているので、順序としては入れ替わりますが、記事の分量バランスの関係上、ほかに訪ねたスポットについてもこちらで整理しておきます

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内子駅から町並保存地区への道のりにある八幡神社。
せっかくなので、簡単にお参りさせていただきました。

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境内はこぢんまりとしていますが、だからこそ「地域で大切にされる神社」ということを実感できる・・・という面もあります。

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久しぶりに内子を訪ねることができたことに、感謝。

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なお、境内の堂々たるイチョウの木。
内子町の天然記念物だそうです。
秋に来ると、見応えがあるのでしょうね・・・。

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また、同じく町並保存地区への道沿いにある妙に堂々とした建物。
「内子町ビジターセンター」を名乗り、観光客に対応する拠点だそうですが、もとは警察署だとか・・・。
このときは特に立ち寄ることもなく前を通り過ぎただけですが、事前にここで情報を仕入れておいた方が、有意義な観光ができるのかも、しれませんね・・・。




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さて、そろそろ次に乗車する「宇和海19号」の発車時間が近づいてきました(内子15:52発)ので、内子駅に戻るとします。

よく見ると、駅前にはバス乗り場があるのですが、過疎化とクルマ社会化の影響をまともに受けているのか、本数はきわめて少ないです。
かつては伊予鉄バス(伊予鉄南予バス)や国鉄~JRバスの拠点だったはずですが、いまでは内子町営バスが、本数的な意味では主力です
(国鉄バスの栄華も、今や昔ですね。現在ここを発着するJRバスは、「松山エクスプレス大阪」号の夜行便のみです)。

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さて、改札で「散策1日パス」を提示して、ふたたびホームに上がります。

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先程までウロウロしていた内子の町並が眼下に広がります
(・・・といっても、住宅に遮られて町並保存地区の様子・・・よくわかりませんけどね・・・)。

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ふと線路を見下ろすとキロポスト。
高松駅起点で231km・・・ということで、ふと思い出したのですが、

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駅前に保存されているC12形・・・“231号機”ではないですか!
(もちろん、C12形が活躍していた時代には内山線は開通しておらず、高松駅から内子駅までの営業キロは231kmよりも“長かった”--それ以前に、旧・内子線の起点は五郎駅なので、五郎駅を起点とした距離を示すキロポストしか、旧・内子駅にはなかったはず--はずですから・・・、偶然の一致なのでしょうが、それにしては“できすぎた偶然”ですよね)。

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・・・そんなことを思っていると、松山駅からやってきた「宇和海19号」が到着です。
それはいいのですが、



真っ昼間の宇和海号が“2連”というのは何事か!


・・・土讃線の高知以西や高徳線よりは、予讃線松山以西の方がまだ輸送密度は高いはずなのですが、とんでもない仕打ちですね・・・
(もっとも、昼間の宇和海号で2連なのは、この19号のみのようです(あとは、最終の33号も2連ですが、こちらは深夜で乗客の絶対数が少ないでしょうから・・・))。

内子まで乗ってきた「15号」(2000系3連)は、自由席で3~4割程度と“ゆとりある”状況だったのですが、同じような数の乗客が2連--しかも、2両とも先頭車なので定員が少ない--に詰め込まれると、混雑率が一気に上がります。
・・・とはいえ、2連でも全員が座ることができる程度なのですから、そのうち、宇和海号も2連が当たり前・・・という時代が来るのかもしれません・・・。

ともあれ、完全に空いている席を探すのは少し苦労しましたが、なんとか2号車の半室自由席に空席を見つけて、座ります。

もっとも、

内子~伊予大洲間の所要時間・・・わずか“8分”なんですけどね・・・
(別にデッキに立っていてもよかったのですが、どうせ空いているなら座っていくで!)。

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かくして、わずか8分の旅を終えて、「宇和海19号」は定刻通り16:01に伊予大洲駅に着きました

「その④」につづく・・・

内子・大洲町並散策1日パスの旅(その②)

「その①」のつづきです・・・

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特急列車に揺られて、内子駅に着きました。
さて、内子では2時間ほど--要するに、乗ってきた列車の2本後の「宇和海」号の発車まで--滞在時間を確保しました。

内子名物と言えば、江戸時代後期から明治時代にかけての町並の姿を今に伝える


八日市・護国地区の町並


です。

地元である松山からは、特急列車で25分ほどで到着するという至近にありながら、私が訪ねるのは実に20ウン年ぶりです。
前回は当時在籍していた高校の写真部の撮影行ということで、顧問の先生に引率された部員ご一行様の一員として訪れましたが、今回は“気ままなエリートぼってぃ非コミュ”として向かいます。

当時の使用カメラは一世を風靡したニコンF601(もちろんフィルムカメラ)、今回手元にあるのはニコンD750・・・同じようにニコン機を首から下げていますが、時代は進歩したものです・・・
(なにせ、撮影結果がその場でわかりますし、フィルム切れの心配もいりませんし・・・)。

他方で、前回の訪問時も今回の訪問時も、利用したのは特急「宇和海」号の2000系気動車。
2000系がどれだけ四国の屋台骨を支え続けているのか・・・という事実にも驚嘆せずにはいられません

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駅から歩くこと数分、こぢんまりとした橋を渡ります。
さすがに、町並保存地区へ通じるだけあって、欄干からして凝った造りです。

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なお、駅から町並保存地区までは、北へ約1kmの道のりとなります(この画像は途中の案内掲示ですから、「残り630m」を示しています)。
公共交通機関は全くありませんので、歩いていくか、タクシーを拾うか、自転車を借りるか・・・。私は歩くことだけは苦にしませんので--他のあらゆる運動は苦だけどな!--、悠々と歩いて行きました

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町並保存地区への順路には、このような案内掲示が各所に設置されています。
ここは、「内子座」へと分岐するスポットにある掲示です(内子座については帰りに訪問していますので、次回のエントリーで記録を整理します)。
駅から町並保存地区への道のりの、だいたい中間点に当たります。

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そして、観光案内図も各所に設置されており、初めてでも(丁寧にたどっていけば)迷わずにたどりつくことができることでしょう。

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途中の交差点とミニ公園。
ポストが円柱形なのが“わかっている”というべきか何と言うべきか・・・。

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駅から歩くこと20分ほど、町並保存地区の入口にやって来ました。

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駅から歩いてきて、小道を左に入ると町並保存地区です(地元の銀行である伊予銀行の支店が目印になります)。
ここのポストも円柱形ですね・・・。




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分岐点からスタスタと歩くと、町並保存地区の入口を告げる看板です。
南北に約600mにわたって、江戸時代後期~明治時代の町並が保存されています

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・・・って、御老公様、なんでこんなところに?!



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・・・ということもありましたが、町並保存地区の入口には、「内子町立・町屋資料館」があります。

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ご覧の通り、当時の町屋を再現した施設で、無料にて公開されています。
せっかくなので、見学させていただくことにしましょう。

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解説板。
江戸時代の町屋を再現しているそうです。
余談ながら、何気なく吊り下げられた“藁草履”が何ともいえない“味”を出しています

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自由に入ることができますが、このときは誰も中にいなかったので“貸切”です。

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江戸時代や明治時代のことですから、ガスコンロなどという文明の利器はありません。
煮炊きするには“かまど”を用いなければなりません。
ごはんを炊くのも、お湯を沸かすのも、スイッチひとつで済む現代からすると、隔世の感があるほどの手間がかかったことでしょう。

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“かまど”といいますと、古代ギリシアの大哲学者ヘラクレイトスが「ここにも神々は住まうのだよ」と語ったエピソードを思い出してしまいますが、凡人にして卑小な私には、神々は見えない模様・・・orz

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ちなみに、建物の外にはこぢんまりとした庭が広がっています。
トイレも設置されており、公衆トイレの存在しない町並保存地区における公衆トイレとしての機能もあります
(もっとも、トイレは“現代”流にウォシュレットになっていました。そこは昔ながらのボットン便所とはなっていない模様・・・)。

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他方で、井戸は釣瓶・・・ではなく手押しポンプ。
江戸時代にはポンプはなかったと思われますが、さすがに釣瓶までは再現できなかったのでしょうか・・・。

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なお、部屋部分(畳部分)は、靴を脱いで上がることができます。

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無駄に上がって隣の部屋に・・・。
箪笥がいい味を出していますね・・・。

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屋根裏が物置を兼ねています。
現代のように“空気を自分の都合のよいように支配する装置(=エアコン)”がないご時世のこと、かくも天井が高いと、冬は大変寒かったことでしょう・・・。

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座布団と食器が並べられていると、“生活のにおい”が漂ってくるような気がするのは、気のせいでしょうか・・・。

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解説板によると「商家としての側面が強い」そうですので、番頭さんでも座っていたのでしょうか。
この座布団と机に座った人は、今の日本をどう思うのでしょう・・・。

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こぢんまりとした空間ですが、江戸時代の町屋を今に伝える温かい空間・・・。
前回の訪問時には(団体行動で自分の都合で動けなかったこともあるとはいえ)すっかり見逃した資料館でしたが、町並保存地区の“象徴”ともいえる、すばらしい施設なのではないかと思いました(昼間であれば自由に立ち入ることもできますしね・・・)。

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さて、町屋資料館の前後はちょっとした上り坂です。
「上り坂だった」という印象が前回の訪問時には全く残っていなかったりもするのですが、20年も前ののアテにならない記憶なんて、そんなものかもしれませんね・・・

そんな上り坂を抜けると、こんな柱が道ばたに立っていました。

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気がつけば電柱もなくなり、ちょっとした“タイムスリップ”気分

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江戸時代から明治時代以来、世紀をまたいで伝えられてきた伝統的な建築物が、訪問者を迎えてくれます。

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格子窓も誇らしげです。




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町並保存地区の北側には、「本芳我家住宅」があります。
建物内部は非公開ですが、庭園が無料公開されていますので、眺めていくことにします。

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門の先は、堂々たる邸宅と庭園。

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かつてこのあたりは蝋燭の生産で栄え、本芳我家、上芳我家、下芳我家といった一族が財をなしたそうです。
邸宅の規模からしても、かつての栄華は十分に偲ばれます。

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庭園も立派なものでした(維持管理はとても大変そうですが・・・)。

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蝋燭で財をなせる・・・現代からすれば信じられませんが、かつては蝋燭が灯りの王者だった時代もありましたからね・・・。

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陽光にきらめく木々が、かつての栄華の名残を見守っている・・・のかも、しれません。




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本芳我家の邸宅跡を出たところで、そろそろ内子駅へ折り返した方がよさそうなお時間です。

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訪問日は天気に恵まれたのですが、今年は四国でも(山間部を中心に)降雪が多いという、なかなかに“困った”気象。
そのせいか、2月中旬の寒波で降った雪が、こうして日陰を中心に町並保存地区にも残っていました。

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町全体が雪化粧・・・とまではいきませんが、沿道に雪が残っているだけでも、それはそれで“乙”なものですね・・・

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ところで、町並を歩いていると・・・

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こんな一角が、

“テナント募集”

・・・とありました。

町並保存地区、観光客を招き入れるには有効なのでしょうが、その保存・維持管理のかなりの部分は、地元住民の肩に掛かっています。

もちろん、観光客向けの商売を展開するなどして「共存共栄」を図る住民もいれば、

保存地区に指定されたおかげで、改築も建て替えもままならない


・・・とぼやく住民もいることも、否定できません(町並保存地区の類では、全国どこでも見受けられる状況ですが・・・)。

自治体がある程度支援する場合もあるようですが、他方で(自治体の保有物ならばまだしも)私有財産である住宅の維持管理・改修にどこまで公費を投じることができるのか・・・という問題は残ります。

他方で、(観光客を集めたいという)自治体の都合をおしつけられて、改築も建て替えもままならないのでは、所有者としては「迷惑」以外の何物にもならないわけで、“落としどころ”は難しいものですね・・・。

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そんなことを考えていると「古くからの町並を堪能した」だけでは済まなくなるのは、京都という世界的観光地を日々目の当たりにしていて、観光客の波に頭を抱えているから・・・なのかも、しれません。

なお、この日は少し寒いとはいうものの、天気は良好だったのですが、私が見かけた観光客は多く見積もっても数十人でした(カウンターでマメにチェックしたわけではありませんが、3ケタには達していないと思います)。
そのなかでもやたらhttp://andromeda10.blog89.fc2.com/blog-entry-1656.htmlとやかま・・・もとい、賑やかだった中国人グループを除けば、あとは2~5人程度のグループ客が主体で、その意味でも、町並にマッチした“落ち着き”を感じたような気がしました。

正直なところ、ゆったりと町並を眺めるという観点ではこれくらいの状況の方がありがたいのですが(京都くんだりが“おかしすぎる”という説もあり)、経済効果を期待する地元としては、痛し痒し・・・というところかもしれません
(散策するだけでロクにゼニも落とさない貴様のような輩にとやかく言われたくない・・・という説もあり)。

「その③」につづく・・・

内子・大洲町並散策1日パスの旅(その①)

先日来地元にしばらく籠もっているのですが、そうして戻る前に、JR四国公式サイトの「伊予灘ものがたり」号の空席状況を毎日無駄にウォッチングしていました
あの空席状況一覧、更新が不定期なので、連日更新されることもあれば1週間程度放置されることもあり・・・と、あまりアテにならない・・・のはともかくとして、


あれ、2月18日(日)の「道後編」・・・10日前になるまでずっと「○」表示なんですけど・・・



全国に名の知れた「伊予灘ものがたり」号のこと、クルージングトレインほど別格ではないにしても、それなりにグリーン券の確保には困難の伴う列車です

私自身、地元の松山を走っているのでいつでもその気になれば乗れるわ・・・とタカをくくっていると


さっくりと売れ続けるグリーン券


・・・ということで、運転開始から3年を経た昨年9月に、ようやく乗車することがかなった・・・ということがあります。

つまり、本来は、

意識的に、かつ、早めにグリーン券を確保しないと、乗ることさえままならない・・・


人気列車というわけです。

土日祝日しか運行されないという運行日の少なさや、2両全車グリーン車という編成による定員の少なさ(おおむね50名)ということもあるにしても、運行開始から3年以上にわたって平均乗車率9割オーバーを誇るというのは、やはりただ者ではありません

その人気列車が、運転10日前の段階で空席多数・・・


これはまた乗りにいけという“天啓”よ

・・・ということで、いそいそとグリーン券を確保したのが乗車の10日前のことです。
なお、前回の乗車では、JR四国ツアーの「伊予灘ものがたりきっぷ」を使用しましたが、今回はグリーン券だけ先に購入して、JR四国のフリーきっぷ「内子・大洲街並散策1日パス」を併用することにしました。




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・・・ということで、やってまいりましたのは昼過ぎのJR松山駅です。
「内子・大洲町並散策1日パス」は、松山~伊予大洲間(内子経由・伊予長浜経由のいずれも乗車可)の特急列車自由席ならびに普通列車に乗り放題となります

「伊予灘ものがたり」号については、上り最終の「道後編」に乗車しますので、往路については内子で途中下車して街並を散策しつつ、特急列車で伊予大洲駅に向かうことにしました。
まずは、「宇和海15号」(松山13:24発)に乗車して、内子へ向かいます。

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待つことしばし、駅に隣接する松山運転所から、2000系量産車の3連が到着しました。
松山駅で即座に折り返すことも多い「宇和海」号ですが、この列車については車両入れ替えのタイミングに当たるためか、運転所から回送されてきた車両が充当されます。

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そして、向かいの3番乗り場には、伊予大洲までの往復を終えた、「伊予灘ものがたり・双海編」(松山13:12着)が到着です。
ランチと充実した旅路を終えた(ほぼ)満席の乗客が、続々と降りてきていました。
車内整備ののち、「伊予灘ものがたり・八幡浜編」として八幡浜駅に向かいます。

なお、慢性的に混雑している「伊予灘ものがたり」号ですが、昼間の双海編と八幡浜編が、特にグリーン券をとりにくいという印象です(食事時間帯にかかり、本格的な食事が提供されることも大きい模様・・・)。
それに比べると、朝早い大洲編や夕方の道後編は比較的グリーン券をとりやすいのですが、それでも“比較的”であり、空席表示の△(残席少数)は日常茶飯事、丸一日×(満席)になっていることも、決して珍しくありません

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同じ1番乗り場には、岡山・高松からやってきた「しおかぜ・いしづち7号」の8000系電車が到着です。
そして、向かいの2番乗り場には、宇和島からやってきた「宇和海14号」の2000系気動車がやって来ました。
この2000系編成については、松山運転所に引き上げとなります(だから、“車両の入れ替えのタイミング”というわけです・・・)。

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さて、「宇和海」号の自由席は、3連の場合1, 2号車の全室、3号車の半室となります。
別にどこに行ってもいいのですが、2000系の置き換えとなると真っ先に消滅しそうな2号車・2200形にあえて乗車してみました
(2000系の真の後継車、2600系が失敗作不完全に終わってしまったため、あと数年は登場に時間がかかりそうですが・・・。他方で、先頭車がリニューアルの対象になっているのに対して、中間・運転台無しの2200形は全車がリニューアルの対象外。そのあたりも、2200形の方が先に消滅するのではないか・・・と思う一因です)。

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最後列となる17番席は先に並んでいた人が座ったので、少しずらして14番席に居座ります。

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こちら、内子・大洲町並散策1日パス(2780円)。
効力は有効期間当日に、松山~伊予大洲間(内子経由・伊予長浜経由とも可)の特急自由席に乗り放題・・・というものです。

なお、この金額は普通列車による往復では元が取れませんが、特急列車で松山~伊予大洲間を往復すると元が取れるという、絶妙なラインです
また、「伊予灘ものがたり」号については、別途グリーン券を用意することで乗車することができます(まさに、今回適用したパターン)。

今回の私の行程は

松山→内子(途中下車)→伊予大洲→(伊予灘ものがたり・道後編)→松山

・・・というものでして、途中下車することを考慮すれば、それはそれで「元が取れる」という判断から、このきっぷを使ってみた次第です
(内子駅でいったん乗車券・特急券が打ち切りになって買い直し・・・ということを考えると、片道の特急利用でも元は取れます)。

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3号車の2100形には、自転車置き場が設置されていました。
サイクルツーリストに微妙にアピールされている設備--該当車には自転車のロゴが貼付されています--ですが、実際にどの程度使われているかとなると・・・
(喫煙室としての機能を失った今となっては、フリースペースとして遊ばせておくよりは・・・という判断なのでしょうね・・・)。

なお、リニューアルの対象外である2200形ですが、確かにモケットや車内は少々“お疲れ気味”とはいえ、座席の掛け心地は安定した良好なものです。振子車らしく、がっちりと身体をホールドする座席・・・現代においても十分に通用します。




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13:24、列車は定刻通り松山駅を出発しました。
この列車の後を追って松山駅を発車する「伊予灘ものがたり・八幡浜編」を傍らに、一足お先に出発・・・と。

相変わらず2000系のキレたエンジンサウンドとグリグリ傾く制御つき自然振子・・・この感覚がたまらない!

登場から四半世紀以上を経ているとは思えない、圧巻の走りは健在です

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市坪駅を華麗に通過し、

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重信川を一気に渡ると、松山市から離れることになります。

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“いつまで経っても工事が進まない”と一部に揶揄されていた新・松山運転所。
ついにというか、とうとうというか、建屋の工事が進行していました。

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松山平野を一気に疾走します。
平坦で線形がいいからこそ・・・ですが、2000系がこれほど気持ちよくぶっ飛ばす区間も、四国ではそれほど多くありません
(山岳区間で車体を傾けながら突っ走るのも、それはそれで“一興”なのですが・・・)。

わずか“8分”で最初の停車駅となる伊予市駅に到着し、自由席車からは数人が降りていきます。
四国では25kmまでの自由席特急料金の設定があることも大きいのでしょうね。

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伊予市駅を出ると、次の向井原駅から内子経由と伊予長浜経由の線路に分かれます。
「宇和海」号の強力なライバルである松山自動車道を頭上に、2000系は相変わらずエンジンを吹かしてすっ飛ばしていきます。

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向井原駅から先は、山岳地帯に入ります。
四国最長を誇る犬山トンネルを抜け、伊予中山駅を通過し、次のトンネルを抜けると・・・そこは雪景色

トンネルを抜けた先は・・・を、リアルに体感することになりました。

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伊予立川駅を通過中。
松山自動車道の高架が、ふたたび頭上を横切っていきます。

なお、国鉄最晩年に完成した向井原~内子間(“内山線”区間)は建設が比較的新しいだけあって、踏切が一切存在しない高規格な線路を、2000系がその高速性能をフルに発揮して突っ走っていく、


乗り応えがありすぎていろいろとチビリそうな区間

・・・です
(極端な急曲線こそないものの、R400レベルの曲線はゴロゴロありますから、車体の傾きもフルに体感できます。おそらく、かつての北海道における「曲線で速度を落とさないための振子機構」・・・というのは、こういうのを言うのでしょうね・・・)。

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かくして、松山駅からわずか25分・・・13:49に、列車は内子駅に着きました。
データイムにおいては内子駅で上下特急を交換させるようにダイヤを組むことで、全線単線ながら運転停車なしにここまで突っ走ってきます。
なお、松山~内子間(37.6km)の表定速度は90.2km/h
全国的には決してトップクラスではないのかもしれませんが、四国内ではぶっちぎりのトップクラスではないかと思われます(線路規格・車両性能ともに高いことに加えて、途中停車駅が伊予市駅1駅だけというのも大きいのでしょうね・・・)。

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上りの「宇和海16号」と交換です。
あちらは松山運転所にわずかだけ残された“アンパンマン列車”が充当されていました。

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内子駅に到着です。
毎年“バースデイきっぷの旅”にて通過するのはするのですが、降り立ったのは高校生の時以来なので、20ウン年ぶりですか・・・。

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3番乗り場には、はるばる宇和島からやってきた普通4640D(内子13:55発)が、特急列車の待避がてら長時間停車していました。

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階段を降りて、改札へ向かいます。
この“コンクリート剥き出し”なところが、国鉄末期の新線--いろいろとコストにうるさくならざるをえなかった--の証のような気もします・・・。

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改札で「町並散策きっぷ」を提示して、外に出ました。




内子では2時間ほどの滞在時間をとりまして、“町並”を“散策”してくることにします。
・・・と、その前に、

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駅前に静態保存されているC12形蒸気機関車の231号機にご挨拶・・・

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かつては別の場所(内子町内の小学校)で保存されていて、その後旧・内子駅の構内に移設されていたそうですが、駅前広場の整備にあわせて、ここにやってきたそうです。
なお、旧・内子駅の駅名板もここに保存されています。

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説明板。
蒸気機関車の保存に際しては、なぜか縁もゆかりもない場所に運ばれてくる例もありますが、この機については、最晩年だけとはいえ、実際に内子線で活躍したそうです。

旧・内子駅は現在の駅の少し北にあったそうですが、今となっては跡形もありません
(このあたりの旧線路跡は道路に転用されたそうで・・・、そういえば、駅前を南北に走る少し新しめの道路がありましたが、あれが線路跡でしょうか・・・)。

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露天・・・ではありますが、定期的に塗装や補修が行われているのか、状態は比較的よいのではないかと思われます。

「その②」につづく・・・



(追記)
現在の内子駅ができて、予讃線の前後と内子線がつながるまでは、五郎~内子間の“枝線”として、国鉄の内子線がありました。
その旧・内子駅と、駅の周辺の線路跡、・・・今となっては道路となってしまって跡形もありませんが、切り替えからしばらくは、線路跡が姿をとどめていました。

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ときに平成元(1989)年の10月、その旧内子駅と切り替え前の内子線の旧線を活用して、松山市の米山工業が制作した、伊予鉄道1号機関車のレプリカ--現代の松山市内を走る「坊っちゃん列車」(ディーゼル動力)とは異なり、蒸気動力--が走ったことがありました。

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たまたま私も出かけて乗っておりまして、そのときに配布されていた「記念乗車券」が実家に保管されていましたので、探し出してみました
(先着300名に配布された記念キーホルダーももらってきた記憶があるのですが・・・どこ行ったんだろ???)。

懐かしいですね・・・。

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当時は旧・内子線の線路跡も残されていて、築堤をレプリカ坊っちゃん列車が、客車を引き連れて運転されました。
1回乗った後で築堤のふもとにやって来て撮影していましたが、なんで白黒で撮影してるんだろ・・・私?
(なお、当時中学生、一眼レフはまだ買えなかったのでコンパクトカメラによるもの・・・ボケボケなのはご容赦を・・・)。
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キモプアの紙

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キモメン兼デヴ兼クソヲタ兼フニーターで当然の帰結として“プア”・・・。略して“キモプア”。
その中でも(まあ、ほかに“キモプア”を自称する物好きもいないでしょうが・・・)選ばれし“逆”エリートゆえに“紙”(ペーパー的な意味で・・・orz)。

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